『ちくま』の今月号(7月)の巻頭エッセイで、蓮實重彦氏が、幼少期からずっと棲み続けている井の頭線東松原駅界隈のあれこれの変化、とりわけ昨今の著しい変化のありようについて、半ば腹を立てつつ述べていた。
蓮實氏は私より十歳以上は年長だが、私もその近隣に八十年近く棲み続けているので、その記事には共感するところも少なからずあった。
しかし、面白かったのは、蓮實氏が幼稚園時代のこととして、その悪ガキとしての仕業を記したところである。近所の悪ガキと一緒に、東松原駅近くの踏切のあたりの線路に釘をバラ撒き、電車が急停車してひどく叱られたとする体験が綴られている。
実は、私にもこれと同様な体験がある。私の場合は小学校の低学年時分のことになるが、――だから、蓮實氏が幼稚園時代と記していることが果たして本当なのかと思ったりもするのだが、やはり電車(玉電、現在の東急世田谷線)の線路に釘を置き、それを轢(ひ)かせようとした体験がある。私自身が実行したのか、横で見ていただけだったのか、今となっては判然としないが、そうした悪ガキ仲間の一人であったのは間違いない。
蓮實氏は釘をバラ撒いたと記しているが、私の場合は五寸釘が一本。これを電車に轢かせてペチャンコにし、それを手裏剣にしたり、ナイフ状にしたりした。蓮實氏も「レール上にペチャンコになった釘を回収すればそれでよかった」と記しているから、目的は同じだったのだろう。
あの当時は、そうした悪い遊びが流行っていた。電車もよく脱線せずにいたと思う。私自身は、何のお咎めも受けることはなかったが、学校で厳重な禁止令が出て、それでこの遊びはすっかり下火になった。
小学生の頃は、私もまた一端(いっぱし)の悪ガキだったことになるのだが、その仕業についてもう一つだけ記しておく。近所で飼っていた犬に、何人かで二、三匹の蝉を無理矢理食べさせたことがある。生きている蝉をどうやって食べさせたのかは忘れたが、犬の口に入れたら、蝉が大きな鳴き声を立てた。大袈裟に言えば、断末魔の鳴き声である。その声を、いまもよく覚えている。
学校の裏を小川が流れ、その先には牧場があり、しかも通学路の横はずっと畑が広がり、そこには蓋のない肥溜めもあった。そんな時代の話である。