雑感

年賀状の異変

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教員生活が長かったこともあり、年賀状の枚数は、受け取るのも出すのも、ふつうの家より多い。もっとも、私の年賀状は、表も裏も、パソコンで作成して、印刷するだけだから、さして手間はかからない。裏の文面も、近況を長々と印字して、あとは一行程度の手書きで済ませている。文字下手ということもあるが、むしろ無精ゆえかもしれない。今年など、まだリハビリ中であることを理由に、何も書かずに投函した。どちらにしても、無礼な年賀状であるに違いない。

年賀状を出すようになったのは、郵便制度が誕生して以降のことになるから、さほど古い慣習とはいえない。昔はむしろ年始回りが一般的だった。私の子ども時分にも、年始回りの客が、わが家を訪れたりしていた。
年始回りの客は、長々と居座ったりはせず、挨拶だけで帰るのが基本である。名刺を置くだけというのもあり、そのための名刺受けを、玄関に用意している家もあった。そんな年始回りが、ずっと続いていた。
年賀状を出すようになるのは、年始回りを簡略化する意味もあったに違いない。遠隔地への挨拶という意味も大きかっただろう。

そうして続いて来た年賀状のやりとりだが、昨今は様子が違って来た。「本年限りで、年賀状は止めにします」、「来年からは、年賀状はメール配信にします」と記した年賀状が増えて来た。
若い世代では、スマホ利用のやりとりがふつうだろうから、年賀状は、もはや過去の遺物なのかもしれない。上の世代にまで、それが波及しつつある、ということなのだろうか。
郵便料金の値上げで、この秋から、葉書が63円から85円になるというから、それもまた、年賀状を止めにする理由なのかもしれない。

もっとも、ここで表題とした「年賀状の異変」とは、上に記したことではない。元日に届いた年賀状に、差出人不明のものが、四通もあったからである。差出人の住所、氏名が、裏にも表にも見当たらない。こうした例はこれまでにもあったが、それも数年に一度くらい。四通も同時にというのは、初めての経験である。一通は、その内容から、差出人が判明したが、残りの三通は皆目(かいもく)わからない。
今年はまた、別人宛の文言を裏に記した一通もあった。宛先を取り違えたためだろうが、これも初めての経験である。
そんなことで、今年の年賀状は、どこかおかしい。それで「年賀状の異変」とした。

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