雑感

社会の木鐸・続

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先日、運転免許証の更新を済ませた。後期高齢者ということで、認知機能検査、高齢者講習を受け、さらに警察所へ出向いて、それでやっと更新が果たせた。すべて別の場所である。
今回は、視力検査を裸眼で受けたら、合格となり、「免許の条件等」のところの「眼鏡等」が消えた。これはちょっと不可解にも思うのだが、文句をいう筋合いではないから、そのまま免許証を受け取って帰って来た。

高齢者講習の際に、「いつまでも安全運転を続けるために」という小冊子をもらった。その中の「最近の道路交通法の改正点」の最初に「特定小型原動機付自転車の交通方法等に関する規定の整備」という記事があり、いわゆる電動キックボードが公道を走るための規定が、新たに定められたことが紹介されている。令和5年7月1日の施行とある。

なるほど、最近、車を運転していると、電動キックボードが道路の左端をチョロチョロ走っているのが目に着くようになった。これが、実に危なっかしい。その規定によれば、車道走行が原則だが、運転免許は不要(ただし16歳未満は運転禁止)、しかもヘルメットの着用は努力義務とある。
自転車の車道走行と同じともいえるが、大きな違いもある。電動キックボードは、車輪が極端に小さいから、路面の影響を受けやすく、安定性を欠く。車道の左端はデコボコが多いから、転倒のおそれは、自転車以上にある。万一、車の側に転倒したら、大惨事になりかねない。しかも、ほとんどがヘルメットを着用していない。

そんな危険な乗り物が車道走行することを、なぜ認めたのか。大きくいえば、規制緩和の流れが背景にあるのだろう。このブログでも再々批判して来た、新自由主義経済を推進する側の意向が、その裏側にあることは、容易に想像がつく。

だが、それにしても、この車道走行を推進したのは、いったい誰なのか。断定してもよいと思うが、世論の後押しなど、あるはずがない。こうしたことには、もともと慎重であるはずの警察組織(警察庁)を動かすくらいだから、よほど大きな政治的圧力が働いたに違いない。あるいは、ここにも、以前のブログ「全体主義国家・日本」で記したような、高級官僚の人事を内閣人事局が一元的に管理するシステムが影響を及ぼしているのだろうか。
ところが、新聞は、その背景について、一切記さない。誰がどのようなプロセスで、この規定を作らせたのか。利権構造まで含めた内実がどのようなものであるのか。それを推進した政治家の固有名も含めて、それらを明らかにするのが、「社会の木鐸」としての新聞の役割なのではあるまいか。

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