雑感

大転換の時期

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そろそろ八十に近づこうかという年齢で、こんなことを考えても無益なことであるには違いないのだが、この十年ほどの世の中の動向を見ていると、いまこそが人類史の上での大転換の時期なのではあるまいかと思う。政治や経済の話などではなく、AI(=Artificial Intelligence)の進化がもたらすかもしれない現実のことである。

先週の学習用英字新聞“the japan times alpha”に、「A deeper dive into AI」という小特集があり、その中のKaori Shoji「How AI went from sci-fi deam to everyday companion」を読むうちに、ますますつよくそのことを意識するようになった。

この記事は、AIの始まりと進化とを実にわかりやすく説明していて、無知に近い私にとっては、実に有益だった。AIの祖型は、1950年のAlan TuringのTuring testにあるのだという。こんな実験があったことも知らなかったのだが、『広辞苑』にも「チューリングの考案した思考実験。機械と人間とを別々の密室に入れ、第三者がそぞれと交信して、機械と人間の判別がつかなければ、機械は人間と同じ思考能力をもつにいたったとする」と説明されている。なるほどAIの祖型といってよい実験に違いない。当時、こうした思考能力をもつ機械と人間の関係を構築・制御する学問分野をcyberneticsと呼んでいた。サイバネティックスなら、たしかに耳にした覚えがある。

その後、機械に人間と同様の思考をさせようとする研究は、大きく進展する。もっとも、1990年代までは、ごく普通の人々の関心を大きく呼び起こすようなものではなかったという。だが、コンピュータのデータ処理能力の著しい進歩――そこには膨大なデータに含まれる、細部から全体までの情報を階層構造として把握するような能力(deep learning)も含まれるが――そうした進歩が、新たなAIを生み出すことになる。それが、2010年代のことになる。

そこからの進化はさらに著しい。人間と同様の思考が可能になった機械と人間との関係を、人間の日常の言葉を用いた対話によって成り立たせようとする研究が進み、ついには対話型のchatbotが現れることになる。OpenAIが開発したgenerative AIのChatGPTである。その発表は2022年というから、ほんの数年前のことになる。以後、こうした対話型のchatbotは、次々と生み出されている。

先の記事は、2010年代以降のAIの進化、さらにはそれが対話型のchatbotを生み出すようになる重要な契機として、スマートフォンの普及を挙げている。なるほど、スマートフォンは、個人が一人ずつ持つコンピュータにほかならないから、その通りであるに違いない。その記事では、夜昼を問わず、スマートフォンを通じて、人々がchatbotと対話していること、中には家族や友人との接触を避け、chatbotとの対話にのめり込むようになってしまったような例までもが紹介されている。

以上述べたことは、多くを先の記事に負っているが、問題はその先にある。その記事でも、ちらりとAIのtechnological singularityについて言及されているのだが、それをどう捉えたらよいのか。その予測がまったくつかないのである。technological singularityとは、技術の進化が人間の知能を超え、社会がもはや予測不能な変化を迎えるようになるとされる「技術的特異点」のことをいう。generative AIなら、そうした特異点を超えて、人間には制御できないような地平を勝手に生み出してしまうかもしれない、そうした虞(おそれ)がここから浮かび上がる。

このブログでも何度か書いたのだが、私はどうしても、ここで映画Matrixに描かれた世界を思い起こしてしまう。コンピュータによって人間が支配される世界を、一種の仮想現実として描いた映画ではあるが、AIの進化によって、そうした仮想が真の現実とならない保証はあるのかどうか。
スマートフォンを手放すことができず、私から見ると、スマートフォンに支配されているとしか思えない人々が増殖しつつある現実を見ると、繰り返しになるが、Matrixの世界が現実になるかもしれないという危惧をどうしても抱いてしまう。

AIの進化は、やはりいまが大転換の時代であることを、私たちに突きつけているのだと思う。

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