品(しな)下がれる話になって恐縮である。
先日、吉野家の常務が、早稲田大学の社会人向け講座で、不適切な発言をして、世間から袋叩きに遭った。何でも「生娘(きむすめ)シャブ漬け」が、吉野家のマーケット戦略の一つだと述べたらしい。田舎から出てきた若い女の子を、牛丼中毒にする、という意味だという。世間の批判を受けて、吉野家はただちに常務を解任、広報を通じて「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することの出来ない職務上著しく不適任な言動」であるとする弁明を公(おおやけ)にした。
以上は、各種の報道で知ったことだが、そこに見られる批判のほとんどは、吉野家の弁明にもあるように、「人権・ジェンダー問題の観点」から見て、この発言は許されない、とするところに集中している。
だが、私はむしろ、別のところで驚いた。この常務の口から「生娘」という、死語に近い言葉が出てきたからである。近世中期以降の言葉のようだが、いまや時代小説や時代劇の中にしか出てこない。
その言葉が、この常務の口から出たと聞いて、いったいこの人の年齢はいくつなのかと、まず思った。70歳前後だろうと想像していたら、何と49歳だという。それでまた驚いた。こんな言葉が日常の語彙の中にあるのなら、この人は一体どんな生活体験を重ねて来た人なのだろう。「人権・ジェンダー問題」云々はともかくとして、私にとっては、むしろそちらに関心が向かう。
このどぎつい言い方は、「(常務として)不適任な言動」であるには違いない。だが、この人の言いたかったことは、販売戦略としてさほど間違っているとは思えない。言い方をもっと工夫すれば、マーケット対象を絞り込む際の方法論として成り立つように思うからである。とはいえ、その内容は外部に向かって吹聴(ふいちょう)すべきことではない。それだけでも、経営を担う資質を欠いている。
報道によれば、この常務はさらに、「(若い女が)男に高い飯を奢(おご)って貰えるようになれば、(吉野家の牛丼などは)絶対に食べない」と述べたともいうから、こちらはさらに問題となる発言だろう。自社の商品の価値を否定することになるからである。吉野家にとっては、こちらの発言の方が深刻だろう。
ここからは想像だが、この常務は、中島みゆきが、大昔、吉野家の牛丼の熱烈な愛好者だったことなど、まったく知らないのだろう。中島みゆきは、吉野家の店員の制服を着て、さらに長靴まで履いて、「オールナイトニッポン」の番組を担当したこともある。その光景を、松任谷由実が見て驚いている(中島みゆき『片想い』、新潮文庫)。
ならば、この常務の発言は、中島みゆきのような吉野家の牛丼の愛好者にとっては、無礼きわまるものでしかない。解任は当然のことだろう。
そこで、私の場合だが、実のところ、吉野家の牛丼には、思い入れのようなものはまったくない。時間がない時など、たまに立ち寄るくらいのつきあいでしかない。そこそこの味だとは思うが、さほどうまいものだとも思わない。
その理由は簡単で、牛丼が嫌いなのではなく、むしろこれへの深い執心があるからである。さらに付け加えるなら、私が愛好するのは、牛丼ではなく牛めしだからである。その根源を探ると、八代目林家正蔵が、毎年師走になると、主催する落語会で聴衆に振る舞ってくれた牛めしに行き着く。これについては、ずいぶん以前、『図書』(岩波書店、2013年8月)に「林家正蔵のこと」と題する小文を書いた際に、詳しく述べた。牛スジを細かく切って丹念に煮込み、さらにネギや豆腐を加えたのが、その牛めしである。吉野家の牛丼などとは、見た目も味もまったく違う。「かめ(洋犬)チャボ」以来の伝統につながる正系が、この牛めしなのだろうと、いまも思っている。だから、牛めしと牛丼とは、まったくの別物である。
正蔵の牛めしを最後に食べたのは、何十年も前のことになる。その後、しばらくして、新橋駅前のビルの地下で、おいしい牛めしやを見つけた。「なんどき屋総本店」という。総本店と名のってはいるが、そこだけの店である。江戸っ子そのままの気風(きっぷ)の主人が、一人で店を切り盛りしていた。その品書きも、牛丼ではなく牛めしである。当時、そのすぐ側(そば)に吉野家の2号店があり、その対比がなかなかおもしろかった。吉野家が本格的にチェーン店化する以前のことである。
その「なんどき屋総本店」も、ずいぶん前になくなってしまった。だから、牛丼ではなく、牛めしが恋しい。そんなことを、今回の吉野家の騒動を見ていて思った。