イギリスのBBCの刑事物に、New Tricksというのがある。BBCのミステリーや刑事物は、日本のものとは比較にならないほど水準が高い。このNew Tricksも実におもしろい。その中に、ヴィクトリア朝の事件を再捜査する話があった。そこに、人物の経歴を知るために、当時のセンサスを調べる場面があって、驚いた。イギリスには、この頃から、センサス、つまり国勢調査があったらしい。
日本では昨年が国勢調査の年だった。もともと国勢調査には応ずるつもりがなかったので、そのままにしておいた。お咎めの連絡でもあるのかと思っていたが、何もなかったのでむしろがっかりした。応ずるつもりがないことの理由を用意していたからである。いまや出し遅れの証文のようなものだが、ブログ開設を機に、心覚えのために書いておく。
国勢調査に応じなかった理由は大きく三つある。すべてつながることになるのだが、一つずつ分けて書いていく。
1、全体主義国家の意思の反映のようで、気持ちが悪いということ。
大昔、テレビで日比谷公園の浮浪者(いまならホームレスか)に、調査員が一人一人しつこく聞き取りをしている光景を見て、実に気持ちが悪かった記憶がある。罰則まで用意して、国民すべてが国家の要請に応じなければならないとするありかたは、どう見ても全体主義国家の意思の反映というほかはない。
2、調査は何の役にも立っていない。
これがいちばん重要かもしれない。調査の意義をあれこれ説明してはいるが、具体性がなく、どこまでも建前に過ぎない。たとえば、議員定数算出の基礎になるというが、いまの定数自体、政治的(俗な意味での「政治的」)に決められていて、住民基本台帳では不十分だとする理由の説明にはなっていない。国会議員定数の都市と地方のアンバランス、比例代表などというおかしな制度、こうした不合理なありかたを見るだけでも、右の説明が成り立たないことはすぐわかる。
もう一つ、政策決定の基礎資料になるとする説明もある。だが、もしそうした資料が必要なら人口動態の概略、就労状況の概略等々がつかめればよいはずである。これらは、もっと簡便な方法で調べられるし、実際にもそれはなされているはずである。もし、そうした情報収集が普段からなされていないなら、それこそ国家としての体をなしていないことになる。すべての国民を一人一人調査しなければ決定できないような政策など、実際にあっただろうか。近年の新自由主義(ネオリベラリズム)信奉者(小泉・安倍・菅の政権)が推し進めた政策など、すべて愚劣なものであって、およそ国勢調査の結果などとは結びつかない。むしろ、その結果と大きく背馳する。たとえば、都市部の保育園不足、コロナ禍であきらかになった医療体制崩壊の現実(国立病院の統廃合、保健所の減少等々)など、いったいどう説明するのだろう。昨今のあきれかえるような予算のばらまきと赤字国債の垂れ流し等々についても同様である。
3、税金の無駄遣い
戦前の日本が、諸外国のセンサスに倣って、一等国であることの証しとして国勢調査を始めたのだろうが、いまや壮大な浪費でしかない。もちろん、建前としての反論はあるに違いないし、法令を後ろ盾にしている以上、その反論こそが公的には正論となるのだろう。それは否定しない。だが、実際のところは、昨今の無教養な(教養と学歴は関係しない)政治家たちの愚劣な発言と同様、国勢調査など何の意味ももたない単なる虚構に過ぎない。このことだけは述べておきたい。