前にちらりとNHK BSの「にっぽん縦断 こころ旅」について書いた。火野正平は亡くなったが、ここしばらくは、セレクションという題で、過去の映像を放映していたから、それをずっと見ていた。
以前見ていた時にはまったく気づかなかったのだが、番組のテロップに、時折「輪行」という言葉が現れる。私の理解とはまったく違う意味に使われていて、それがひどく気になった。
番組では、電車などに自転車を載せて移動することを「輪行」と称している。私は、しかし、自転車に乗って移動すること、さらに言えば、この「こころ旅」のような、自転車によるツーリングこそが「輪行」だと、ずっと信じ込んでいたので、このテロップを見て、大きな違和感を覚えたのである。
ただし、NHKの番組で、テロップに何度も出て来る言葉だから、おそらく校閲者の目も経ているはずである。それで、この言葉について、少し調べて見た。
ところが、「輪行」は、手許にある辞書にはまったく見えない。つまり新しい言葉である。わずかに『日本国語大辞典(精選版)』に、語義の説明はないものの、「→サイクリング」とある。サイクリングと同義とする理解である。その「サイクリング」の項目には、「自転車で遠乗りすること。自転車旅行」とあるから、これは私の理解と等しい。
ところがである。Wikipediaに、驚くような説明が載っていた。「輪行とは、公共交通機関(鉄道 - 船 - 飛行機など)を使用して、自転車を運ぶこと。サイクリストや自転車旅行者が、行程の一部を自走せず省略するために使う手段。公共交通機関を利用しない自走以外の移動(例えば自家用車積載)は輪行とは呼ばない」とある。おまけに、自転車を運ぶ際の、自転車を入れる袋を「輪行袋」と呼ぶとも記されている。さらに、この言葉は、「競輪の選手が競輪場まで電車にてレースに参加することを、電車で行く=「輪行」と称していたことに由来する」ともあった。
なるほど、Wikipediaにこうした説明があるのだから、この言葉はいまや、そこに記された意味で流通しているのだろう。「こころ旅」のテロップが、まったく問題視されない理由がやっとわかった。
とはいえ、私は臍曲がりだから、そんなことでは納得しない。「輪行」という言葉の語構成を考えると、そこには「公共交通機関(鉄道 - 船 - 飛行機など)を使用して、自転車を運ぶ」ということとは大きく齟齬するところがあるように思われるからである。「輪行」の「輪」とは、自転車のことだろう。「銀輪」「輪業」「輪タク」等の用例がすぐ思い浮かぶ。「競輪」も同様である。それゆえ、「輪行」とは、まずは自転車でどこかに行くことでなければならない。「舟行(しゅうこう)」(舟で行くこと、船遊びの意)のような類似の語構成を持つ言葉の例もある。だから、どれほど新しい言葉であっても、当初の意味はそうでなければならない。私の理解、さらに言えば、サイクリングと同義とする『日本国語大辞典(精選版)』の理解もそこにある。「公共交通機関」の中心が鉄道であっても、それを「輪」というだろうか。電車などの乗り物を「輪」と引っくるめるのは、あまりにも不自然である。理解がどこかで歪んだとしか思えない。競輪選手の言葉が由来だというのだが、どう考えても理屈に合わない。
もっとも、こんなことをいくら述べ立てたところで、もはや何の甲斐もないことは明らかである。しかし、私は、今後もこの言葉を「こころ旅」のテロップのような意味に使うつもりはない。おかしな言葉があちこちで増えているが、これもその一つに違いないと思うだけである。