研究

「陰翳礼賛」 小さな疑問

投稿日:2025年4月6日 更新日:

中村ともえさんから、新著の『「陰翳礼賛」と日本的なるもの』(教育評論社)を頂戴した。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を手掛かりに、1930年代という時代のありようを、文化史的な視点から捉え返す、きわめて意欲的な労作である。ブルーノ・タウトの言説が建築家のみならず、黒澤明の脚本、石川淳、横光利一、坂口安吾、そして谷崎の作に大きな影響を及ぼしていること、「日本的なものがモダニズムの課題」としてあったことが具体的に述べられている。

この本を頂戴して、それこそ数十年ぶりに「陰翳礼賛」を読み返してみた。日本文化論を代表する作であり、高等学校の教科書にも採録されているという。
ところが、これを読むうちに、小さな疑問が出て来た。以前はまったく意識しなかったことである。それをここに記してみたい。

「陰翳礼賛」は、陰翳こそが日本文化の本質であるとし、そこに西洋との違いを見出そうとする。暗がりの中に美を求め、光が乏しいなら乏しいなりにそこに沈潜し、そこに自ずからなる美を発見するのが私たちであるとするなら、西洋人は、蝋燭からラムプへ、ラムプから瓦斯燈へ、瓦斯燈から電燈へというように、絶えず明るさを求め、僅かな蔭をも払い除けようと苦心をする、とも述べられている。

だが、この比較は当たっているだろうか。疑問とするのはそこである。実は、右はある箇所の内容の要約なのだが、その直後のところで、谷崎は、先年パリから帰国したという武林夢想庵の言を、次のように紹介している。

欧州の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でもラムプを燈す家があるのに、日本では余程辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界ぢゆうで電燈を贅沢に使つてゐる国は、亜米利加と日本であらう……。

この夢想庵の言は、そのまま私の実感とつながる。四半世紀ほど前、ドイツでのほぼ一年近くの滞在を終えて日本に戻った際、東京の夜のあまりの明るさに啞然とした覚えがあるからである。反対から言えば、ドイツの夜は――というよりも、欧州の夜はと言い換えるべきだが、その夜は暗い。日本のように、部屋中を隅々まで明るくするようなことは決してない。その照明も、蛍光灯を用いたりせず白熱電球をむしろ好む。欧州では、しかも、しばしば蝋燭の光を用いる。レストランでは、明かりを落として、食卓に蝋燭を燈すところも多い。夢想庵の言は、1930年代半ばのものではあるが、そこに述べられている感想は、70年後の私のそれとほぼ重なる。
さらに言えば、欧州の寺院や修道院内部のどこか薄暗い空間、そこに明滅する蝋燭の光のありようは、闇と光のもたらす陰翳を、むしろ宿しているのではないか。

谷崎は、西洋と日本(東洋も含めて)の対立の図式を、どこかステレオタイプとして作り出しているように思われる。西洋の建築を、「煉瓦やガラスやセメントのやうなもの」のように、その建築材料を挙げて捉えているのだが、そして、その明るさばかりを強調しているのだが、先の寺院や修道院のような石造りの建物は、そこで谷崎が想像しているものとは、ずいぶんと趣が違う。そこには、深々とした闇の世界が確かに存在する。

谷崎の外遊体験は、二度の中国行きだけだろう。欧州に赴いたことはないはずだから、そこへの理解は、どうしても図式的にならざるをえない。私が覚えた小さな疑問の根源は、どうやらそのあたりに因があるらしい。
なお、私はアメリカには行ったことがないから、夢想庵が言うように、そこが日本と同様の明るい世界であるかどうかはわからない。

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