世論調査なるものがある。内閣府などが行う官製のものもあるが、新聞やテレビなど、報道機関が行うものが多い。内閣支持率とか、どの政党を支持するかといった調査、特定の政治問題についての調査だったりする。
私のところにも、何度か世論調査のお尋ねがあった。ところが、無礼なことに電話である。しかも、生身の人間が出て来るならともかく、すべて自動音声による問い掛けである。それがわかった途端に、電話は切ることにしている。
そこで、疑問に思うのだが、そんな自動音声に付き合って、最後まで調査に応じている人は、どのくらいいるのだろう。有効回答率とやらを見ると、60パーセント前後の数字で、私などからすると、この回答率の高さには驚く。時に50パーセントに近い場合もあったりはするのだが、それにしても、馬鹿正直な人間がこれほどいるのかと、むしろ呆(あき)れてしまう。
問題は、私のように回答しない人間の意見を、世論調査を行う主体はどう考えているのかである。40パーセント程度は、調査に応じていないことになるから、その意見はまったく反映されていない。そんな調査などまったく信用できない。
世論調査には、それを請け負う調査会社のようなもの(広告代理店が多いと聞いた。真偽は未確認)が介在しており、統計学的手法を用いているというのだが、そんな手法など、どう考えてもまやかしに過ぎない。異論があるなら、これは議論をしてもいい。調査に応じない人間の意見を、どう考えているのだろう。
こうした世論調査に限らず、私はアンケート調査の類(たぐ)いは、まったく信用していない。だから、そうした調査には、一切応じないことにしている。もっとも、職務上、やむを得ざる場合には応じたこともあるので、そのあたりは首尾一貫しないところもある。
誰にでもわかることだが、アンケート調査は、明確な目的があって行われる。だが、問題は、質問項目の設定次第で、調査の結果をどのようにでも操作できることである。質問項目を見れば、その調査が何を意図しているのかがすぐわかる。ここにも調査会社のようなものが介在しており、依頼主の希望に応じて、都合のよい結果に誘導する仕掛けがなされていたりする。極端なことをいえば、設定次第で、結果を反対に持って行くこともできる。これが、アンケート調査の実態である。そんな愚劣なものに協力する筋合いはどこにもない。
それゆえ、世論調査にせよ、アンケート調査にせよ、繰り返すように、私はまったく応じないことにしている。だが、調査に応じなくても、それへの意見がないわけではない。むしろ、その逆である。いつの場合も、意見はつよくある。だが、項目ごとに設定された、○か×かのような単純な質問、しかも結果を誘導するかのような質問には、上記の理由から応じられない。もし、意見を自由に言ってよいということなら、たぶんそれには応ずると思う。
私のような考えをもつ人間の存在を、統計学的手法とやらでは、どう評価するのか。そんな手法など、学問的とはとても言いがたい。統計学とは、いったいどういう学問なのだろう。