今日(1月2日)の午後、「日テレNEWS24」というニュース番組を見ていたら、高山市の小学校で、無声映画の上演会があったことが紹介されていた。昨年秋の催しらしく、小学校と地域の合同文化祭での企画だという。チャップリンの喜劇などが上映され、初めての体験に、子どもたちがすっかり満足している様子が映し出されていた。
活動弁士付きの上映であり、若い女性がその弁士役を勤めていた。
ここで気になったのは、カツベン(活弁)という言葉である。「100年前の娯楽“カツベン”その反応は」というのが、そもそものタイトルであり、「当時映像に音がなく映画が活動写真と呼ばれていた時代。そんな時代に欠かせない存在だったのが活動写真弁士。通称“カツベン”」「1896年に日本で初めて無声映画が公開されて以降、映画とともに根付いていった“カツベン”の文化」といった説明も現れる。
カツベンという言葉を、ここでは、活動弁士、活動写真弁士の略語と見て使用しているのだろうが、略語とするのは、実は誤りである。カツベンとは、活動弁士の自嘲の言葉であり、見方を変えれば蔑称に他ならないからである。
私はこのことを、ずいぶん大昔、永六輔『極道まんだら』で知った。この本は、いろいろな「極道(かなり広い意味での「極道」だが)」たちとの対談集で、そのなりわいのさまざまなありよう、その裏面をうかがわせる本でもある。
その登場人物の一人に、高橋鶴噇という活動弁士がいる。その対談の中で、永六輔が、徳川夢声を話題にしているところがある。夢声も、その昔には、活動弁士の経験があり、ある時、夢声とのテレビ対談の中で、永が「活弁」という言葉を連発すると、夢声は次第に不愉快そうな表情になり、ついにムッツリと黙り込んで、永がすっかり往生してしまったことが記されている。後日、そのテレビ番組を見ていた、永の父親から「活弁という言葉は活動写真の弁士の自嘲をこめた名称であって、夢声サンが活弁というのは許されるが、君(六輔)がその言葉をつかってはいけない」と諭されたことが記されている。なるほど、これは、その通りだろう。
この永の本で、私などは、「活弁」という言葉のもつ言語感覚を学んだのだが、そんな感覚など、いまや完全に忘れ去られているのだろう。そもそも永でさえ、当初は単なる略称だと思っていたのだから、先のニュースで、カツベンが繰り返されるのは、無理からぬことといえる。とはいえ、私のように言葉を扱うことを仕事としてきた身からすると、言葉を成り立たせている意識はやはり大切にしたい。だから、私はカツベンという言葉は使うつもりはない。
永の『極道まんだら』は名著である。さらにいえば、永の『芸人その世界』も。後者など、永の驚くほどに幅広い読書体験や見聞が基盤にあるから、その該博な知識には、大いに目を開かせられる。悪く評するなら、「他人の褌(ふんどし)で相撲を取っている」ような本ではあるが、しかし、その褌の数が並大抵ではない。真似しようと思ってもなかなか出来ることではない。小沢昭一とはまた違った意味で、永は日本の芸能史の生き字引であったとつくづく思う。