一昨日は、極月(ごくげつ)十四日で、赤穂浪士が吉良邸に討入った日である。
以前は、この日になると、テレビなどでも、泉岳寺の様子を紹介するなどして、よく話題にされたものだが、それもほとんど見られなくなってしまった。芝居の世界で、「仮名手本忠臣蔵」の上演が、独参湯(どくじんとう)に喩えられることがあるが、いまでもそうした効能があるのかどうか。
義士銘々伝のあれこれの話も、以前はやはり、誰でもよく知っていた。いまの若い世代では、どうなのだろう。「燗酒(かんざけ)よかろう」の地口(じぐち)など、どこまで通じるのか。
そこで、久しぶりに、初代春日井梅鶯(かすがい・ばいおう)の「南部坂雪の別れ」の録音を聴いてみた。浪曲黄金時代、その中でも、梅鶯は、一際(ひときわ)輝く存在だった。浪曲特有のしゃがれた声ではあるが、音吐朗々、梅鶯節の独特の節回しは、私などにはつよい印象を残している。
その「南部坂雪の別れ」だが、以前からよくわからぬ言葉が出て来て、それがずっと気になっていた。赤穂浪士が、主君の怨みを晴らすのだが、その際、「殿様(亡君)残念ショウゾク(あるいはショゾク)の為(討入った)」という言い方が現れる。そのショウゾク、ショゾクの意味が、わからない。
「雪辱」のような言葉がすぐに思い浮かぶが、ショウゾク、ショゾクとは違いすぎる。ショウ、ショは「消」で、怨みを消す意なのかと思ったりもしたが、今度はゾクにあたる文字が見つからない。
そこで、思い当たったのが「相続」である。主君の無念の思い(残念)を受け継ぐということなら、「相続」で意味が通じる。だが、なぜそれを、ショウゾク、ショゾクと言うのか。調べてみても、「相続」には、そうした読みはないらしい。
ならば、これは梅鶯の訛りなのではあるまいか。「南部坂雪の別れ」をよく聴くと、梅鶯は、大石内蔵助のことを、オオイシ・クラノシュケと発音しているところがある。ならば、「相続」が、ショウゾク、ショゾクであっても不思議はない。
この推測が当たっているかどうか。何か別案があれば、ぜひ御教示を頂戴したい。南部坂だが、迂闊な話だが、ずっと有栖川公園の横の坂だと思っていた。調べてみると、赤坂にある同名の坂であるという。なるほど、「南部坂雪の別れ」でも、瑤泉院(ようぜんいん)のもとに密偵として入り込んだ小間使の女は、「赤坂田町の八百屋の娘」と名告っている。赤坂の南部坂は、まだ行ったことがない。
(追記) 六代目一龍斎貞山の「忠臣二度目の清書(きよがき)」の録音を取り出して聴いてみたら、「主人の遺命ソウゾクし、斬死(ざんし)遂げんと討入ったり」と出て来た。これは明確にソウゾクと言っているから、やはり「相続」の可能性が高い。ただし、「遺命」を「相続」するのと、「残念(残念な思い、無念な思い)」を「相続」するのとでは、意識の上で微妙な違いがあるように思う。(12月17日追記)