雑感

うぞうすい

投稿日:2024年12月31日 更新日:

インフルエンザに罹患したので、何か元気の出る食べ物をというので、うぞうすいを拵えた。鰻の雑炊だから、うぞうすい。もっとも、これは、京都の「わらじや」の看板料理の名で、家でもそれを拝借して、そのように呼んでいる。

「わらじや」のうぞうすいは、店の品書には「うぞふすい」とある。旧仮名なら「うざふすい」のはずだが、どうしてこの表記なのかはわからない。筒切りにした鰻、麩、ゴボウの笹がき、人参、椎茸などを入れ、卵を溶き入れて、土鍋で雑炊仕立てにしたもので、実に滋味あふれる食べ物である。一方、家のは鰻、なめこ、浅葱(あさつき)を入れるだけのシンプルなものである。生薑の絞り汁を入れるのが、コツかもしれない。身体がよく温まるから、冬になると何度か食卓に上(のぼ)せる。

「わらじや」に初めて行ったのは、もう半世紀近くも前のことになる。手帳に、昭和54(1979)年10月19日と日付が記してある。
ある本で、この店を知ったのが切っ掛けで、それから何度か行っている。三十三間堂の近くにある店である。

そのある本とは、臼井喜之介氏の『新編・京都味覚散歩』(白川書院)のことである。「新編」とあるから旧編もあったのだろうが、それはわからない。この「新編」は、昭和45(1970)年8月に刊行されている。

この本には、ずいぶんとお世話になった。副題に「京のガイド」とも記されているように、名所旧跡の案内も、味覚散歩の記事の合間合間にある。
とはいえ、これは、どこにでもある京都の味覚案内、名所案内のガイドブックとは、まったく趣を異にしている。
著者の臼井氏は、「月刊京都」の創刊者であり、白川書院の創業者でもある。京都の表裏の、色町も含めた細かな事情に通じているばかりではなく、文人気質をつよく持ち合わせた人物であったらしい。詩人でもあった。
それゆえ、臼井氏の文章には、氏独特の文体、どこか癖のある文体があちこちに顔をのぞかせている。それがこの本の魅力を生み出している。見方によっては、悪文と評されるのかもしれないが、決してそうではなく、間違いなく名文といえる。ここに紹介されている店には、一度は足を運んでみたい、――そう思わせる力が、この本にはある。
それで、京都に行くと、「わらじや」だけでなく、この本で教わった店に、ずいぶんと足を運んだ。むろん、お金がないから、一流の料亭に行くようなことはできなかったのだが。

中で、よく通ったのが、丸太町河原町にあった「金平(きんぺい)」である。板前洋食を標榜する店で、ここでは海老コロッケやタンシチューをよく食べた。店を閉めたのは、ずいぶん前のことになるから、いまは懐かしい思い出しかない。似たような店で、河原町三条に「満亭」というのもあったが、ここはまだ営業しているらしい。

コロナ禍以前だが、やはり京都に行くたびに、よく訪れていたのが、祇園の板前割烹「如月(きさらぎ)たかし」である。ここは、「一見さんお断り」の店なのだが、先輩の先生の紹介で通うようになった。
この店は、先の臼井氏の本には載っていない。ただ、その本で、意外な事実を知った。臼井氏の本には、もう一つの祇園の「たかし」が紹介されている。花見小路のあたりにあった店で、洋風スナックと紹介されている。坂東流の踊りのお師匠さん、坂東三津志郎氏の店で、割り箸で食べる洋食屋を売りにしていたらしい。その「たかし」のことが気になったので、「如月たかし」の主人に尋ねたら、三津志郎氏とは叔父・甥の関係だという。「たかし」の名を受け継いで、如月小路に店を開いたので、店名を「如月たかし」にしたのだという。

「如月たかし」は、店の時計の針が10分ほど進めてある。飲み過ぎて、帰りの電車に間に合わなくなるのを気遣ってのことだと聞いて、感心した。ここでは、一度、舞妓を連れたお客の「ご飯食べ」に出会ったこともある。

臼井氏の本が、いまどうなっているのかを調べたら、疾うに絶版になっているらしい。それはそうだろう。「京のガイド」を標榜する以上、情報の更新は必須だからである。臼井氏は、昭和49(1974)年に亡くなっているから、絶版となるのはやむをえないことといえる。ただ、繰り返すように、この本の価値は、京都の裏表に通じた臼井氏の見識、さらにはそれに裏づけられた独自な文体にある。そこが凡百のガイドブックとの違いでもあるから、臼井氏以外の誰かが、これを受け継いで改版することなど出来るはずもない。

それだけに、いま読み返すと、文化史という観点からも、きわめて価値ある本だと思う。実用書の体裁を取ってはいるものの、それとは大きく異なる一面を持つ本である。
この本を「日本の古本屋」で検索したら、35,000円ほどの値がついている。Amazonもほぼ同価格。これには驚いた。600頁ほどの、やや大きめの文庫本サイズの本なのだが。

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