雑感

Yahooの知恵袋

投稿日:

以前のブログ「新聞の行方」にも書いたことだが、ニュースを伝えるという新聞の役目はもはや終焉に近づきつつあるように思われる。
私とても、ほとんどのニュースは、Yahooの記事から得ている。

そのYahooのニュース記事には、多くの場合、そのユーザーが自由な意見を投稿できるコメント欄が設けられている。そのコメントをヤフコメ、投稿者をヤフコメ民と呼んだりするらしい。

ヤフコメにしろ、ヤフコメ民にしろ、どこか愚弄するような響きがあるが、なるほどそのコメントにはひどいものが多い。
どう考えても、ニュース記事をまともに読んでいるとは思えないものも混じっている。ちゃんと読めばわかるはずのことを、記事の上っ面のみを、場合によっては見出しのみをながめただけで、誤った感想を書いていたりする。国語力がないのか、理解力に欠けるところがあるのか、おそらくはその両方だろう。

しかし、ここで述べたいのは、ヤフコメのことではない。標題にしたYahooの知恵袋についてである。誰かが投げ掛けた質問に、それを見た者が自由に答えるというのが、知恵袋の目的らしい。
その知恵袋の質問内容に、私の名があるという。これは、まったく知らないことだった。ごく最近、ある人からそれを聞いて、覗(のぞ)いてみた。ずいぶんひどい質問や回答もあるのだが、それはいまは問わない。ただ、最も新しい質問と回答とが、ヤフコメの問題ある感想とも重なるところがあるので、それについて記すことにする。

質問は、以下の通り。
「多田一臣という人が書いた本を読んでいたら万葉集に庶民の歌なんか載っていないと書いてありました。ほんとですか。常識だそうです」。

私の本を読んだとあるのだが、ここに記されたようなことはどこにも書いていない。なるほど、これに関連することは、いくつかの本に書いている。最新のものでは「『万葉集』は「国民歌集」か」『万葉樵話』(筑摩書房)、「東歌と防人歌」『『古事記』と『万葉集』』(放送大学教育振興会)など。
だが、そこでは以下のようなことしか述べていない。『万葉集』は宮廷歌集と見るべきであり、東歌や防人歌はその宮廷歌集の論理に即して、そこに収められた。しかも、東歌や防人歌では、その収める論理に違いがある。以上のような指摘である。
もう一つ重要な点として、これらには大なり小なり、官人の手が加わっている可能性がある、とも記しているから、ここを捉えて、質問者は「庶民の歌なんか載っていない」と短絡的に理解したのかもしれない。とはいえ、東歌も防人歌も「東国の衆庶の声を伝える歌であることは間違いない」(「『万葉集』は「国民歌集」か」)と明確に述べているから、やはり質問者の誤読としか言いようがない。
さらに、また巻16には「地方の歌」や「芸謡」が収められていることも、先の『『古事記』と『万葉集』』に記してある。私の『万葉集』の注釈である『万葉集全解』では、その実態を、歌に即して、さらに詳しく注記してある。

その質問への回答もまた問題である。それとても、私の本をきちんと読んだとは思えないものばかり。これは、もう例示はしない。

この知恵袋の質問と回答は、ヤフコメの問題ある感想とどこか相似形ではあるまいか。
ここで、恐ろしいのは、こうした質問や回答、感想の類が誤ったまま拡散され、それが一定の力になりかねないことである。アメリカ大統領選挙のトランプの虚偽の発言とも、どこか似通っている。もっとも、トランプの場合は、その発言の裏にしたたかな計算も働いているらしいから、そこは区別して考える必要があるのかもしれない。

これは「研究」とはいえないから「雑感」に分類しておく。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.