何とも物騒な標題だが、その意味は、最後までお読みいただければ、お分かりいただけると思う。
いま日本文学協会(日文協)という学会の委員長を勤めている。先日、ある地方の私立大学の法人組織の監査室から、委員長宛に所属教員についての照会が届いた。その教員が、昨年開催された研究発表大会に出席していたかどうかの照会である。
その教員は、おそらくは公的研究費(科学研究費補助金など)を利用しての出張であり、その使途が適切であったかどうかを尋ねることが目的であるらしい。
日文協の研究発表大会は、発表者は別として、出席者の登録は必要なく、また会員外の参加も自由であるところから、当該教員が出席していたかどうかの回答は不可能であるとして、そのように返答した。
この件は、それで済んだのだが、このような照会に接したのは、初めてのことでもあり、またそこに疑念を覚えたりもしたので、以下、そのことについて述べてみたい。なお、これはあくまでも私的な感想に過ぎないので、日文協としての意見ではないことを、お断りしておく。
この照会には、添え状があり、照会の対象となった教員に格別の疑義があるわけではなく、調査対象として、任意に抽出されたに過ぎないこと、またこの調査にあたっては、文科省が策定したガイドライン(令和3年2月)を根拠としていることが記されていた。
そこで、そのガイドラインをネット上で検索して読んでみた。このガイドラインが、近年の理系を中心とする数千万円規模の、公的研究費の不正請求・不正使用を防止する目的で策定されたらしいことは、すぐにわかった。機器・物品の架空の購入請求、実体のない非常勤職員の雇用等がそうした不正にあたるが、不正な出張(架空出張)もそこに含まれる。
ガイドラインの内容は多岐に渉るが、出張に関するところだけを紹介すると、その21頁に、「出張計画の実行状況等の把握・確認については、用務内容、訪問先、宿泊先、面談者等の確認できる報告書等の提出を求め、……必要に応じて照会や出張の事実確認を行う」とある。さらに、25頁には、「リスクアプローチ監査の具体的な方法については、以下のような手法が考えられる」として、「研究者の一部を対象に、当該研究者の旅費を一定期間分抽出して先方に確認、出勤簿に照らし合わせるほか、出張の目的や概要について抜き打ちでヒアリングを行う」とある。
先の照会は、この二つを根拠にしているようだ。文科省のお墨付きを得た(実際には文科省の威に従った)照会というところだろうか。照会の対象となった教員は、どうやら出張の報告書、あるいは交通費や宿泊費の証明となるような書類を別途提出しているらしい。ところが、先のガイドラインは、それだけでは不充分だと述べている。太字にした箇所を見ればあきらかだが、必要に応じて、出張先に「照会」や「事実確認」をするよう求めている。
なるほど、学会出張の名目で出張しても、学会にはまったく出席せず、ひどい場合には遊んでいたということもないとは言えないから、本人が提出した報告書等の書類だけでは証明にならない。それで、まずはそこを疑えということなのだろう。
だが、大学のような研究機関が、そこに所属する研究者に対して、そうした疑いを前提とするような姿勢を端(はな)から示すのはいかがなものかと、私などは思う。それが、最初に記した疑念である。まずは、研究者を犯罪予備軍として疑えということになるからである。
そもそも、学会出張とは何を目的としているのか。以下は、国文学の分野、より大きくいえば人文学の分野に限ったこととして受けとめていただきたいが、学会に出席する目的は、そこでの講演やシンポジウム、研究発表を聞いたり、討論に参加することであろう。だが、どんな学会でも、最初から最後まで、会場にずっと座って、それを聞き続けるということは、果たしてあるのだろうか。私自身のことでいえば、そのあたりは実にいい加減であったというしかない。学会を中座して、知り合いと会場外で談笑したり、あるいは近くの旧跡を尋ねたりすることなど、しばしばであった。それらも、公的研究費の支出による出張だったから、先のガイドラインを厳密に適用すれば、これも不正と問われかねない。
とはいえ、学会出張にそうした自由が認められないとするなら、人文学の分野の学問は成り立たない。学会会場にいるだけでなく、研究者が互いに親交を深め、さまざまな意見交換ができるような場が保証されるのでなければ、学会出張の意味はない。文学作品ゆかりの地を訪れることも、学会出張の余禄として、その意義を積極的に認めるべきだろう。
だが、状況はむしろ逆方向に進みそうに思われる。あのガイドラインの内容、またその指示に忠実に従おうとする先の大学のようなありかたを見ると、研究者の置かれた状況は、今後ますます窮屈になっていくのではないかと危惧する。
なお、ガイドライン策定時の文部科学大臣は、萩生田光一(はぎうだ こういち)である。その名が、冒頭に記されている。安倍晋三の子分で、例の政治資金パーティーの裏金問題で、その名が取り沙汰された当事者である。「お前こそどうなのだ」という思いを抱いたことを、付け加えておく。