「神を感ずる①」で述べたことは、宗教学者、あるいは神社関係者の述べるところとはずいぶん違っているかと思う。そこに記したことは、私の祭の体験を通じて得られた、一つの帰結に過ぎない。
この②では、実際に神を感ずることができた二つの祭について書いてみたい。
一つは、八重山の豊年祭に出現するアカマタ・クロマタである。異界からやって来る二体の仮面の来訪神である。全身を蔓草(シャミセンヅルだったように思う)で覆われた神である。
この祭は、現在、八重山の四ヶ所で行われている。石垣本島の宮良(みやら)、新城(あらぐすく)の上地(かみぢ)島、小浜島、そして西表(いりおもて)の古見(こみ)で行われている。私は、小浜島以外の三ヶ所を見たことがある。すべて完全な秘儀・秘祭であり、よそ者が立ち入ることも本来は禁じられている。記録・撮影などはもってのほかであって、見たことは一切外部に話してはならないとされる。一度、某研究者が、ひそかに写真を撮り、それを公開したため、大騒動になったことがある。いまでも、それが唯一の写真とされる。
私が見た中で、もっとも印象深いのは、古見のアカマタ・クロマタである。古見では、シロマタも出現する。アカマタ・シロマタが同時に出現し、クロマタは別に行動する。驚くのは、アカマタ・シロマタの出現が、白昼であることである。夜こそが神の時間だから、神が白昼に出現することなどありえない。事実、他の地域のアカマタ・クロマタも、出現は夜である。
古見では、集落の人びとは、まずトゥニムトゥ(集落の本家)に集まる。すると、いきなり先触れの者がドラを打ち鳴らしながら、躍り込んで来る。思わず頭が下がるが、ふと目を上げると、目の前の庭にアカマタ・シロマタの二神が、身を震わせながら並んで立っている。ここでもまた頭が下がる。両脇に並んだ従者の歌にあわせて、二神は身を動かすが、またいつの間にか消え去ってしまう。文字どおり、神を見た実感を、戦慄ともども覚えた。
もう一つ付け加えるなら、集落から神が帰っていく時のことが忘れられない。人びとは集落の外れまで、神を送っていく。神は、眼下に見える入り江を渡り、そこからさらに山を登っていく。その中途で、名残を惜しむかのように、集落を振り返る。送りに来た老婆が、孫らしい小さな子に、「神さまは、ああやって七つの山を越えて、お帰りになるのだよ」と説明しているのを見て、ひどく感動したことを思い出す。
アカマタ・クロマタが、神を感じることができた、もっとも原型的な神との出会いになるが、これとは反対に、もっとも洗練された祭の場で、神を意識したことがある。奈良の春日大社の春日若宮おん祭の遷幸、還幸の儀である。
この祭については、「ウサギの数え方」でも取り上げた。若宮神社のご祭神を、春日大社参道の中途にあるお旅所にお遷しし、神前で古代から中世までの芸能を披露・献納する祭である。
ご祭神がお渡りになることができるのは、一日(二十四時間)以内と限られている。祭の当日午前零時とともにお遷りいただき、翌午前零時までにお還りいただく。前者を遷幸の儀、後者を還幸の儀と呼ぶ。
遷幸の儀も還幸の儀も、浄闇、真っ暗闇の中で行われる。明かりは一切厳禁とされる。若宮神社から、お旅所までの距離はかなりある。最初に、二本の大松明(おおたいまつ)が、参道を浄めていく。地面を引きずるのだが、あとに火の粉が転々と、まるで二本のレールのように残る。
しばらくすると、遠くから「おー、おー」という警蹕(けいひつ)の声が入り乱れるように聞こえて来る。やがて、暗闇の中から、手に手に賢木(さかき)を振り立てた一団が、「おー、おー」の声とともに近づいてくる。その中に、神がおいでになる。目の前を通り過ぎる際、不思議なことに、ふっと薫香が漂う。ここでも、自然と頭が下がる。通り過ぎた後は、しばし虚脱感に襲われる。
春日若宮おん祭は、四度は見ていると思う。一度、どこかの女子大生たちが大勢、教員の引率で、遷幸の儀を見学に来ていたことがあった。ずっとおしゃべりし続けるのに呆れたが、次には携帯電話を取り出して話している。深夜、参道にじっと立っているのが退屈なのだろうが、画面の明かりがあちこちで光って、実に腹が立った。
その教員は、後でどこかから大目玉を食らったのではないかと思う。
以上が、神を感ずることができた二つの祭だが、素朴、洗練と、そのありかたが対照的であるところが、おもしろい。