どの国文学者もそうだろうと思うが、家に大量の蔵書を抱えている。
私の場合、世田谷の家と信濃追分の山荘に分けて置いてあるのだが、いまやどちらの書架も満杯状態。しかも、本を二重、三重に重ねたりもしているから、何がどこにあるのかもわからなくなっている。その本があるのは確かでも、その所在がわからない。それで、やむなく二冊目を買い求めたりすることもある。
大学には、個人研究室の設置が義務づけられているはずで、だから、多くの大学教員は、その個人研究室に蔵書を置いたりしている。
ところが、東大は、――これは、国文学研究室だけのことかもしれないが、個人研究室がない。研究室は相部屋で、そこに個人用の机と椅子があるだけであり、書架には研究室所蔵の本がぎっしりと並んでいる。個人の本を置く余地などない。学生など、勝手に部屋に入って来て、本を探している。第一、扉も開けっぱなしである。こちらが、食事をしている時でも、遠慮がない。ある時など、挨拶もせずに入って来る学生がいたので、挨拶くらいしろ、と注意したこともある。
東大の国文学研究室がそうなっているのには、理由がある。大昔の、東京帝国大学の教授は、大学近くに大きな邸宅を構え、そこが勉強場所なので、研究室は、授業のための待機場所に過ぎなかったからだ、というのである。
いまや、状況はまったく違っているのだが、建物の構造は大昔のままだから(登録有形文化財であり、そのまま使うしかない)、私も仕方なく、すべての本を家に置き、研究室には、最小の私物しか持ち込まなかった。もっとも、退職時には、むしろこれを有り難く思った。家に持ち帰るものがほとんどなかったからである。よその大学では、研究室を引き払うのに、半年近くかかった、などという話を耳にしたこともある。二松学舎に移ってからも、――ここでは、ちゃんとした個人研究室を与えてもらったが、東大でのありかたを踏襲して、最小限度の私物しか置かなかった。だから、五年の任期が終わった後の後始末は、えらく簡単に済んだ。
一方、家の蔵書は、冒頭に記したように、たいへんな状況に陥っている。
あと何年研究が続けられるかわからないが、それにしても、どこかで始末しておかないと、その先が大変なのは目に見えている。このままでは、子どもに迷惑がかかる。
紙の本は、いまやほとんどが二束三文。雑誌など、お金を払わないと、持って行ってくれない。そんな御時世になってしまった。蔵書には、家一軒分くらいは投資しているはずなのだが。さて、困ったことである。