近年、電車に乗る機会はずいぶんと減ったのだが、乗ると車内の広告が気になる。
先日も、日能研(これが正式名称らしい)の広告が目に入った。「シカクいアタマをマルくする」のシリーズ広告である。
目に入ったのは、サレジオ学院の中学入試の社会科の問題である。
「社会科の教科書には、これまでの人たちが生きてきた歴史や築いてきた知見の蓄積が書かれています」とした上で、その一例として、自由民権運動をきっかけに社会が変わって行き、それが歴史上の物語として語られるようになったことを、その説明文とともに示し、それにならって、受験生が25歳になった際、昨今の「新型コロナウィルスの流行と社会の変化」が、教科書にどのように記されているかを、リード文に従う形で記すよう求める問題である。
そのリード文だが、「2019年の終わりごろから2022年ごろにかけて、新型コロナウィルス感染症とよばれる病気が世界的に流行しました。この時期、日本国内では、……」とあり、受験生は「……」以下を埋めることになる。
この問題を見て、はたと当惑した。中学入試の問題だから、受験生はほぼ12歳。25歳になった時点で、コロナ禍が社会にどのような変化をもたらしたのかを想像せよという趣旨だから、十数年先の視点に立って、現在の状況を定位することが求められていることになる。
当惑したのは、そんなことが可能かどうか、私にはまったく自信が持てなかったからである。
近年の社会の変化は、実に急速である。二、三年前には、予想もできなかったような現実が、次々と生まれている。このブログの「近未来の科学技術」でも記したことだが、アバターを利用したメタバースの世界は、具体的な利用がすでにはかられている。先のブログでは、これをやや否定的に捉えたが、そのブログを記したのは、昨年の10月である。わずか半年前である。
チャットGPT(Generativ Pretrained Transformer)のような生成AI(Artificial Intelligence人工知能)が、あちこちで問題とされるようになったのも、私が気づかなかっただけかもしれないが、今年に入ってからである。生成AIは、メタバースの世界とも連動しており、今後の人間社会のありよう、そしてその文化を、大きく変容させる契機になるのかもしれない。
前のブログで危惧したように、映画“Matrix”に描かれたような世界が、どこかで現実化するのだとすれば、それはそれでやはり恐ろしい。
上に記したような科学技術の進展は、近年のコロナ禍がもたらした状況と、確実につながっている。
ならば、これから先の、近未来の社会がどのように変化していくのかは、とても想像がつかない。それほど著しい変容が生まれつつある。
それゆえ、十数年先の視点に立って、「コロナ禍が社会にどのような変化をもたらしたのかを振り返る」ことなど、簡単にできるはずはないように思う。
この問題の出題者、サレジオ学院の出題者は、一体、どのような答えを意図しているのだろう。それを反対に尋ねてみたいものである。それとも、私の頭が「シカクいアタマ」であり過ぎるのだろうか。