研究

三四郎は童貞か

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漱石の『三四郎』である。
高校の教科書には、判で押したように、『こころ』が載せられている。私はこれが気にくわない。なぜ『三四郎』『草枕』『夢十夜』などではないのか。青春時代には、それにふさわしい作を読ませるべきだろう。

『三四郎』は、文字どおりの青春小説である。三四郎が熊本から上京する列車の中で、広田先生と出会う場面がある。そこで、広田先生は、三四郎に向かって、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」と言った後で、「日本より頭の中が広いでせう」と言う。ここだけでも、教科書に載せる価値がある。三四郎が、広田先生の「囚(とら)はれちや駄目だ」という言葉を聞いて、「真実に、熊本を出た様な心持がした」というのも、まことに宜(むべ)なるかなと思う。

広田先生に出会う前、三四郎は名古屋に一泊するのだが、その時、京都から乗り合わせた女に同宿を頼まれる。宿では、夜具を一組しか用意してくれなかったので、三四郎はしかたなく女と一つ布団で寝ることになるが、あれこれ言い訳をして、とうとう何もなかったまま夜が明ける。明くる朝、別れ際に、にやりと笑った女から「あなたは余つ程度胸のない方ですね」と言われて、後で「何処(どこ)の馬の骨だか分らないものに、頭の上がらない位打(どや)された様な気がした」と思い返している。「二十三年の弱点が一度に露見した様な心持」ともある。

ずいぶん以前、漱石についての博士論文を審査したことがある。いわゆる論文博士の審査で、提出者は、相応の経歴をもつ女性研究者だった。その彼女が、三四郎は玄人女なら、すでに女を知っていたはずだ、と言ったので、驚いた。私は端(はな)から、三四郎は童貞だと決め込んでいたからである。「二十三年の弱点」とあるから、数えとはいえ、すでに二十三歳。旧制高校を出てから、ひょっとすると在学中、遊郭に出入りした可能性はたしかにある。そういえば、日本のストライキの元祖は、熊本の二本木遊郭の「東雲楼(しののめろう)」だった。
三四郎が、宿で女に手を出さなかったのは、相手が素人女だったからだろう。それで、何となく腑に落ちた。ただし、これを論証するのはかなり難しい。

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