数日前、長島弘明氏から、『アナホリッシュ 國文學』第一〇号(響文社)を戴いた。上田秋成の特集号である。
巻頭に、長島氏と高田衛氏の対談が載っている。これが実に刺激的な内容で、秋成研究の先達である高田氏の研究の真髄ともいうべきところを、長島氏が実にうまく引き出している。
その中に、高田氏の作品論が話題になっているところがある。「高田さんの作品論は論じられている作品自体より数段面白い、しかし実際にその作品を読んでみるとちっとも面白くない」という長島氏の発言を受けて、高田氏もまた「高田が面白いというから読んでみたら、つまらなかったという意見は、多くの人から言われています」と、それを肯定している。
これを読んですぐに思い当たったのは、市古貞次先生の講義である。半世紀も前の昔話になるが、市古先生の講義は、まさしく高田氏の作品論と同じだった。先生は、当時、中世物語(中世小説)の講義をなさっておられたのだが、取り上げる物語の梗概をまずお話しになる。それが抜群に面白い。講義が終わって、その物語を探して読んでみると、実につまらない。しかし、そこで気付いたのは、先生は余分なことは何も付け加えておられないということで、そこが実に不思議だった。話術のなせる業(わざ)というべきなのかもしれない。
本題はここからである。市古先生は、講義の中で、物語の読み方の要諦(ようてい)も教えて下さった。実に単純なことだが、読みながら系図を作れということ、もう一つは年立(としだて)(年譜)を作れということである。
なるほど、中世物語(中世小説)は、膨大な数の作品が残されているし、登場人物相互の関係も入り組んでいたりするから、系図と年立によって整理しないかぎり、内容を頭に入れておくことなど、なかなかできないに違いない。
私自身は、説話文学の研究を中心にしていたので、系図や年立を作ることはほとんどしなかったが、この市古先生の教えを、おそらくもっとも忠実に実践したのは、先年故人となられた三角洋一氏ではないかと思う。三角氏の中世物語に関する圧倒的な業績は、長編から短編に及ぶ中世物語の全貌を把握しない限り生まれない。おそらく、三角氏は、一々の作品について、系図や年立を中心とするノートを作成しておられたのではあるまいか。
三角氏が市古先生と編集された『鎌倉時代物語集成』全七巻+別巻(笠間書院)は、その大きな成果といえる。
三角氏は、中世物語のみならず、物語文学全体に通暁されており、藤井貞和編『王朝物語必携』(別冊國文學、學燈社)で、「物語文学全覧」と題して、古代から中世に及ぶ物語文学(散佚物語も含め)の作品すべての一覧(梗概、成立、主要登場人物、話形、趣向などの簡単な解説)を執筆されている。編者の藤井氏が、「物語文学全覧をいまできる人は三角洋一氏以外には考えられない」と「あとがき」に記しているように、三角氏ならではの驚嘆すべき成果にほかならない。これも、先のノートのようなものが下敷きになっているに相違ない。
『源氏物語』のような大きな作品では、注釈書類には、必ずといってよいほどに、注釈者が作成した系図と年立とが載せられている。しかし、本当は、読者が自分で作るのが理想である。そうすることで、物語世界を細部までくまなく把握することができるからである。
物語の読み方と記したが、述べたことは、系図と年立の作成を中心に、メモを丹念に取ることだけである。もっともそれは、簡単なようだが、案外と根気のいることでもある。人間の記憶には限界があるから、研究者になるつもりなら、その努力を惜しんではならないと思う。