研究

芭蕉の句碑

投稿日:2025年10月27日 更新日:

前にもこのブログで、信濃追分の浅間神社の境内に建つ芭蕉の句碑について触れたことがある。これも芭蕉の句碑の話である。

先週、軽井沢の隣町である御代田町の真楽寺を訪れた。信濃追分の山荘には、四半世紀近くも通っているが、ごく近くであるにもかかわらず、真楽寺を訪れたことはなかった。
御代田町では、毎年七月末、この真楽寺と龍神の杜公園を舞台に龍神祭が行われる。甲賀三郎の伝説に起源をもつ祭である。真楽寺の大沼の池に、龍と化した甲賀三郎が棲むとされ、一年に一度、長い眠りから覚めた三郎が、巨大な龍神の姿となって現れるのだとされる。真楽寺の龍神開眼式・龍神の舞のあと、町の中央の龍神の杜公園に場所を移して、さまざまな舞が演じられる。この祭も遺憾ながら未見である。

真楽寺では、木立に囲まれた大沼の池の、青い水を湛えた美しさに感銘を覚えた。さらに、仁王門の先の長い石段を登って、厄除観音堂、大本堂を巡拝し、三重塔を仰いだ。信州でもっとも大きな三重塔だという。境内には樹齢千年を超える神代杉もあり、なかなかの名刹である。他の参拝者もほとんどおらず、ゆったりとした気分で廻ることができた。

その一隅に、芭蕉の句碑がある。何とか判読すると「むすぶよりはや歯にひゞく清水哉」とある。これを見て、浅間神社の句碑と同様、『更科紀行』の旅の途次、芭蕉がここに立ち寄ったのだろうと思った。ところが、調べてみると、どうもそうではないらしい。芭蕉は、真楽寺を訪れてはいない。
そもそもこの句は、言水(ごんすい)撰の『新撰都曲(しんせんみやこぶり)』に撰録された句であり、天和・貞享年間の芭蕉の句であることは確かだが、どこで詠まれたかは不明とされる。しかも結句が「清水哉」ではなく「泉かな」になっている。「しみず哉」とするのは、芭蕉の句を集めた 仏兮(ぶっけい)・湖中(こちゅう)編の「俳諧一葉集」(文政10年刊)だが、新編日本古典文学全集『松尾芭蕉集①』は、その「しみず哉」に「拠る所不明」と注する。

真楽寺の句碑は、天保14年(1843)10月12日、芭蕉百五十回忌に 小諸の俳人小林葛古(くずふる)が建立したとされる。ならば、浅間神社の句碑と同様、信州には芭蕉の跡を敬慕する俳人が多くおり、その句もどこかで句形を変えて、伝えられていたのかもしれない。
先の『松尾芭蕉集①』には、「炎天下の山陰で見つけた泉で、しばらく涼を入れている図。平俗な誇張が、そのまま一句の詩情を平俗なものにしている」とある。句碑を見ると、「歯」の文字が大きく目に映り、口に含んだ清水の「歯にひゞく」冷たさが、視覚的にも浮かび上がる。これはこれでおもしろい。

なお、真楽寺には、大淀三千風(おおよど・みちかぜ)の歌碑(「浅間山あさく見るべき煙かはわが身も終(つひ)の空にくゆれば」)もある。三千風は、貞亨3年(1686)、実際にも真楽寺を訪れている。

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