先日、テレビで、コロナ禍の中、楽団運営に苦しむ東京フィルハーモニーの実情を報告するドキュメンタリー番組を見た。度重なる演奏会の中止や、観客数の削減が、財政面でとてつもない痛手を与えている様子がひしひしと伝わってきた。
もともとオーケストラの運営は、強力なスポンサーが存在しないかぎり、なかなか難しい。高度経済成長の歩みが始まった頃、戦時中の文化抑圧への反動なのか、芸術への関心が異常な高まりを見せたことがあった。主要な放送局が、専属のオーケストラを抱えるようになったのも、その頃である。NHKとN響との関係は戦前からだが、東京放送が東京交響楽団を、文化放送(フジテレビ)が日本フィルを、やや遅れて日本テレビが読売日本交響楽団を、それぞれ傘下に置いた。
どのオーケストラも、独自のコンサート活動の傍ら、それぞれの局の番組に出演した。ラジオでもテレビでも、クラシック音楽の番組が定期的にあったのだから、いまとなってはとても信じられない。日本フィルの東急ゴールデンコンサート(文化放送)など、中学生時代に、よく通ったことを思い出す。文京公会堂(現在の文京シビックホール、位置は同じ)が主たる会場だった。往復葉書による抽選で、入場は無料である。小澤征爾が当時の夫人江戸京子と共演したこともあった。
私は、当時、東京交響楽団の定期会員だったが、そこで大事件が起こった。東京放送が突如、専属契約を打ち切ったのである。1964年のことである。悲惨な話だが、当時の楽団長橋本鑒三郎(はしもと・けんざぶろう)は、責任を取って入水死した。その後、残された楽団員たちは、新たに有限会社を発足して、オーケストラを再興した。楽団員による自主運営である。それが、いまの東京交響楽団にまでつながる。それからまもなく、このオーケストラの名誉指揮者であったアルヴィド・ヤンソンス(マリス・ヤンソンスの父)が、橋本の追悼コンサートを指揮したように思うのだが、ひょっとすると記憶違いかもしれない。定期演奏会で、モーツァルトの「レクイエム」を指揮したのは確かで、これとの混同があるかもしれない。プログラムのどこかに「天国にいる橋本氏の霊のために」という言葉が添えられていたように思うのだが。
専属契約打ち切りの理由は、財政負担に耐えきれなくなったからだろう。その後、やはり文化放送(フジテレビ)が日本フィルとの専属契約を打ち切った。これも理由は同じであろう。詳しい事情はわからないが、その後の対応をめぐって、楽団は二つに分裂した。新日本フィルと旧名を残した日本フィルである。どちらもいまにつながる。
オーケストラを維持すること、とくにそれが自主運営である場合には、その負担は並大抵のものではない。今回のコロナ禍がなかなか収まらないようだと、より深刻な経営危機に見舞われる楽団も出て来るに違いない。昔話をしたのは、いまがそうした瀬戸際に近い状況だからである。橋本氏のような犠牲者が出ないことを願うばかりである。