研究

「指導放置」ということ

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一昨日(14日)の「朝日新聞」朝刊「科学・環境」の記事を読んで、驚いた。「「だめ」「だめ」「だめ」進まぬ研究 心折れ」と題する記事で、副題に「「指導放置」報道に反響(上)」とあるから、なお連載が予定されているのだろう。

15年ほど前、(どこの大学かは明示されていないが)美術史(学)の博士課程に在籍していた、現在50代の女性が、指導教員から充分な指導を受けられず、何を申し出ても「だめ」と言われ、挫折しかかった折、父親からそれは「指導放置」というアカデミック・ハラスメントではないかと言われ、それを申し出て、研究室全体の話し合いがもたれたが、書きかけの博士論文も認めてもらえず、ついに退学に追い込まれたとする内容の記事である。

この記事自体、その頭に、東大での「指導放置」が、教員の処分対象になった事例を掲げており、「指導放置」を否定的に捉えようとする姿勢が見られるから、この女性についても、すこぶる同情的に描こうとしているように思われる。

ただ、私のように、大学闘争を経験し、その後に研究歴を重ねた人間から見ると、博士課程での「指導放置」を、アカデミック・ハラスメントと捉える右のような見方は、なかなか素直には従いがたい。よりはっきり言えば、昨今、ますます顕著になりつつある、学生の幼児化と結びついているように思われるからである。

博士課程――ここで述べるのは、人文系の学問、つまり人文学について限定するので、他の分野、とくに理系の分野については、事情はまったく異なるに違いない。その点は、最初にお断りしておく。

人文学の学問だが、そこにおいては、いかにして対象と向き合うのか、その向き合い方が問われる。向き合い方は、対象に応じて多様であり、そのありかたは、研究者一人ひとりによって違ってくる。しかも重要なことは、一定の普遍性さえあれば、それぞれに異なるその研究は立派に成り立つ。そこが、絶対的な普遍性、たとえば原理や法則を求める自然科学との違いになる。
もちろん、人文学においても、新たな作品や事実の発見といった面もありはするが、基本は右に述べたところに落ち着く。そうした人文学の研究のありかたについて、一人ひとりが、それぞれの固有の文体を発見することだと、比喩的に述べたこともある。

このことは、人文学においては、大学院のみならず、すでに学部の段階から、目指されなければならない。
ところが、いまや、どこの大学においても、学生の幼児化が顕著になりつつある。手取り、足取り、学生を丁寧に指導することこそが、大学の責務とされる。
こうした傾向はいつ頃から現れたのか。大衆化社会の実現がその契機であることは間違いないが、その顕著な事例として思い浮かぶのは、1990年代の初め、新たに創設された多摩大学の学長が、「大学はサービス業」というテーゼのもと、授業回数の厳守(休講はしないのが原則、休講の場合は必ず補講で補う)、さらにはシラバスの厳格化、学生による授業評価等等を、大々的に打ち出したことである。その後、これらの策は、あっという間に全国の大学に及んだ。

人文学の場合、これらがいかに愚劣な策であるかは、論ずるまでもなく明らかである。そもそも大学を「サービス業」とすること自体、原理的に誤っている。人文学では、その講義内容は、講義する教員一人ひとりの固有の文体の開示にほかならない。それゆえ、その講義が、受講する側にとって、絶対的な意味をもつわけではない。受講する側にとっても、己の文体を形成する際の、一つの契機に過ぎないからである。もちろん、その軽重はあるから、そこから重大な示唆を受けることも少なからずある。このことは幾重にも強調しておかなければならない。

とはいえ、授業回数が意味を持たないのは、右に述べたことからも明らかであろう。教員が、最新の思索を、己の文体の開示として展開するのがその講義であるとするなら、大まかな講義内容の設定は可能ではあっても、厳密なシラバスなど作れるはずがない。人文学の講義は、自動車学校の講義などではない。

そこで大学院である。繰り返すように、ここでの大学院とは、人文学の大学院のことだが、そこにおいては、己こそがすべての主体とならなければならない。博士課程においては、なおのことである。
その意味では、教員と学生は対等の関係にある。むろん、「指導」「被指導」という絶対的な立場の相違(一種の権力関係)は存在するが、学問の前では、まずは対等の関係にあることこそが、前提とされなければならない。
ただし、これは一種の理想でもある。冒頭に、大学闘争の経験を述べたが、その直後は、教員が学生に対して、まったく力を緩めることなく、現実にも対等の立場で応じた。これは、実に恐ろしい体験で、横綱が幕下相手に全力で対戦するようなもので、彼我の力量の差(逆にいえば己の未熟さ)を大いに思い知らされたものである。

とはいえ、大学院は、あくまでも己の文体を自力で発見する場である。手取り、足取りで何かを教えてもらう場ではない。
それが、少しずつ崩れ始め、それが決定的なったのは、先にも述べたように、大学の大衆化が極まり、多摩大学のような新たな大学が、学生確保に乗り出すようになってからのことだろう。学部段階から手取り、足取りが始まり、ついには大学院にまでそれが及ぶことになった。

私が東大を退職したのは、10年ほど前のことになるが、その流れが徐々に迫って来るのを感じていた。授業評価が導入されたのもこの頃である。その授業評価について、教授会でS先生がすっくと立ち上がり、反対意見を述べたことは、このブログ「全体主義国家・日本・続」にも記した。そこにも書いたが、私もS先生にならい、定年まで授業評価は一切やらなかった。

そこで、「朝日新聞」の記事に戻る。この女性は、一から十まで、指導教員の指導を受けるものだと思っているらしい。そこには「自己流で作った研究計画書や、博士論文の章立て」が否定されたとあるが、そもそも「自己流で作った」という言い方がおかしい。これらは、本来、指導など受けずに、自分で書くものだからである。「自己流」という言い方には、記者のバイアスが掛かっているのかもしれないが、それが駄目だと言われたのなら、実際にもその内容は評価に値しなかったのだろう。この女性には、己の文体を形成する力がなかったと判断せざるをえない(記事からの感想に過ぎないので、無論、実際のところはわからない)。
もし、この記事で、教員の責任を問うとすれば、博士課程になぜこの女性を入学させたのかということに尽きる。修士論文を見れば、博士課程への進学の可否は判断できるはずだからである。

ここまで記したことは、この御時勢ゆえ、もはや暴論なのかもしれない。だが、もしそうなら、人文学の研究の先行きは、ますます暗いものにならざるをえない。

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