研究

百川敬仁君のこと

投稿日:2025年11月9日 更新日:

先週の日曜日(11月2日)、東京女子大で開催された日本文学協会の大会に参加した。「フィクションの精神――「「である」ことと「する」こと」を出発点に――」と題するシンポジウムが企画の中心で、山下久夫、宮澤隆義、山田哲久の三氏が登壇した。「「である」ことと「する」こと」は、いうまでもなく丸山真男『日本の思想』(岩波新書)の一章だが、そこからどのようなフィクション観が展開しうるのかを問うことが、このシンポジウムのテーマであったようである。

このテーマは、古代、中世を専攻する者には、やや関心を持ちにくいところがある。事実、会場でも、そうした時代を専攻する者の姿はほとんど見掛けなかった。
それでは、私はなぜ参加したのか。それは、山下久夫氏の報告の題が「丸山真男・百川敬仁・「近世神話論」――あらためてフィクションの意義を問う」とあったからである。丸山氏と共に百川氏の論を大きく考察の対象としているところに、つよく関心を覚えたからである。

なぜ百川氏の論に関心を覚えたのか。それは、百川氏が、大学時代の、より正確にいえば、同じ文学部の国語国文学専修課程に所属する同級生だったことに起因する。そんなこともあるので、標題にも記したように、百川氏でなく、以下、百川君と呼ぶことにする。

私が国語国文学専修課程に進学したのは、昭和45年10月、まだ大学闘争の余塵が燻っている時だった。10月進学というのは異例(通常は4月)だが、その時初めて百川君と出会った。もっとも、当時は、百川姓ではなく、児玉姓だった。その後、桑野姓になり、そして百川姓になった。家庭の事情があったのだろうが、詳しいことは知らない。

百川君に会って驚いたのは、こんなに優れた学識と思考能力をもつ学生がいるのかということで、私などまったく足もとにも及ばないと、己の不才が切実に実感された。以前にも、こうした感覚を覚えたことがあり、大学入学直後、狂言研究会に入会した際、先輩の脇明子さん(当時は教養学部科学史・科学哲学専攻、大学院は比較文学・比較文化専攻)と出会った際がそうだった。もっとも、脇さんは年長だったから、それが慰めにはなったが、百川君の場合は、まったくの同学年だから、その出会いは実に衝撃的だった。

百川君の資質は、指導教官の秋山虔先生も認めたところであり、先生の推挽で、卒論がそのまますぐに紫式部学会の雑誌『むらさき』に掲載された。それが「「排蘆小舟」実情論の来歴」である(ついでながら、脇明子さんの泉鏡花を題材とした修論も、すぐに『幻想の論理 泉鏡花の世界』(講談社現代新書)として公刊されている。これもかなり異例だろう)。百川君のその論を読んで、こんな水準の高い論はとても書けないと、彼我の力量の差をつくづくと思い知らされたことを、いまも思い起こす。

その後、百川君は教養学部の助手となり、遅れて私も文学部の助手となった。入試の採点の際など、百川君とよく話をしたが、研究室を訪ねると、蔵書の山の中に埋まって(これは誇張ではない)、いつも読書をしていた。英語力も抜群で、英字新聞のクロスワード・パズルをいとも簡単に解いていたことも忘れられない。
その後、百川君は、国文学研究資料館に赴任し、さらに明治大学法学部に職を転じたが、それなりの付き合いは続いていたように思う。

百川君から、緑内障の症状の進行を聞かされたのはいつのことだったのか。それが徐々に悪化し、視力が極度に衰えて、大学も辞せざるをえなかったらしい。それ以上に気の毒に思われたのは、読書こそが生きがいであったはずなのに、その読書がまったくできなくなってしまったことで、それが百川君にとって、どれほど辛いことであったのか。これは、とても想像がつかない。
その後も、電話のやりとりはたまにあったが、コロナ禍の中、「いずれどこかで会おうね」と、約束したなりになってしまった。「なってしまった」と記したのは、昨年、百川君が亡くなっていたことを知ったからである。

そんなこともあって、百川君のことは、果たせなかった再会の約束とともに、いまも頭の中に思い起こされるのだが、それこそが今回、日本文学協会のシンポジウムに出席しようと思った理由でもある。だから、目当ては何よりも山下久夫氏の報告を聴くところにあった。

その山下氏の報告だが、百川君の二つの重要な著書『内なる宣長』(東京大学出版会)、『「物語」としての異界』(砂子屋書房)、それらの中の異界論が大きく取り上げられている。
百川君にとって、異界について考えることは、おそらく終生を通じて、そのもっとも大事なテーマであったと思われる。百川君によれば、異界とは「人間の共同性それ自体を問いの対象とするための概念」であるとされる。その上で、異界を「人間がお互いの間のアンビヴァラントな異和を棚上げにして共同性を成立させる事態と相関的に出現する、共同体の外部である。異和のため身動きならなかった個体同士は、共同体と異界に異和の関係を負わせ代行させることによって連帯を存在論的に可能なものとし、自分達を「人間」へと構造化するのである」と説明する(「異界と虚構」『「物語」としての異界』)。きわめて抽象度が高く、難解な言い回しにはなっているが、このような理解は原理的に納得できる。私などは、ごく単純に、一人一人の個体のありようは相互に異なってはいるが、共同体(社会)を形成しないかぎり生きていくことはできない。その場合、共同体を絶対化するための根拠として、神のような存在をその外部に造り出す。とはいえ、一人一人の個体は、そうした共同体に対する異和を持ち続けるし、それぞれの個体相互の軋轢をどこかに必ず背負い込んでいる。そのため、個体はそれぞれの価値観に応じた外部を、共同体の価値基準とは抵触しないようなありかたで、それぞれがその内部にずっと抱え続ける。――このことは、沖縄などで、共同体の祭祀にかかわる宗教者(たとえばノロ)がいる一方で、個人の問題にかかわる宗教者(たとえばユタ)が存在することからもあきらかだろう。こうしたありかたは始原の段階から変わらない。単純ではあるが、右に述べたような理解は、百川君が述べていることと同一なのではあるまいか。始原の世界であっても、共同体の神(共同体を絶対化する外部)もあれば、一人一人の個体の神もあったに違いないということでもある。

百川君は、その上で、中世以降の共同体の揺らぎ、もはやその存立を絶対化するような外部がありえなくなった状況を捉え返す。異界がはっきりとしなくなり、共同体はどこまでも、自己の外部にぶつかることのできぬ状況が生まれるのだという。それを「共同体はどこまで行っても自己の外部にぶつかることが出来ない。つまり内部だけになってしまう。……共同体は、自分が存続するために不可欠な二元論の基礎となるもっとも根源的な対立を失う」と説明する。百川君は、さらにのっぴきならない状況に立ち至った近世について、そうした二元論、あるいは二元論的対立を共同体のドラマとして作りえなくなった時、反―虚構の精神の方法化によって矛盾を小刻みに解放していくか、ドラマの再興を目指して共同体の内部に対立を敢えて作り出す(対立を虚構する)しかなかったのだとする。その上で、百川君は、賀茂真淵から本居宣長への思想的な流れをたどりつつ、国学誕生の背景を丹念に探っていく。このあたりは、シンポジウムの資料において、山下氏が以下のようにまとめたところが、いかにも適切であるように思う。

近世になってはじめて、「人間は根源的に相対性にさらされた一種の虚構として存在していること」、人間は真理・真実といった虚構がなければ生きてゆけないこと、空間的異界が消失の危機にあるのならば何としてでも「異界」を作り上げなければならないこと等が強調される。……(百川氏は)「ますらをぶり」対「たをやめぶり」、「日本」対「漢意」、といった対立構造を空間的「異界」を喪失した近世人があえて人間の内面に作り出した「異界」として意味づけた点が特筆される(以上、山下久夫氏の資料)。

ただし、山下氏は、百川君の「もののあはれ」論については、やや批判的な姿勢を示す。百川君は、本居宣長の「もののあはれ」とは、『源氏物語』の主題などではなく、「生きて行く上でぶつかる、この世の様々の解決不可能な二項対立――一例を挙げれば、義理と人情など――を肯定し、それによって生ずる苦しみや悲しみを皆で確認しあう時の、いわば悲しみの連帯感情」であるとする。しかも、それは「極めて近世的な、正確に言えば、政治的な自治権を持たない近世都市の大衆の負性の共同感情」であるとする。しかし、山下氏は、これに異を示す。つまり、百川君の捉える近世の像は、「いささか暗すぎる」というのである。さらに、「もののあはれ」を、「農業生産の増大によって急速に都市の増加と肥大が進行する状況下で、十七世紀半ば頃に疎外された都市民たちがその疎外を逆手にとって共同性を虚構したもの、「いっさいの矛盾を諦めて受け入れる屈辱の上に幻出する虚構の連帯感情」」とするところを捉えて、「ここまで言われると、フィクションの精神を知の運動体として捉えようとする視座からは、少々やりきれなくなる」とも述べている。これは、たしかに山下氏の言い分に聞くところがあるように思う。

山下氏は、「近世神話」の意義を提唱しようとする立場から、「国学」の展開についても、近世人のアイデンティティを確立する知の営為と捉える。その知の営為とは、「時代状況に対応し新たな地平を切り開くために、眼前の事物や状況に対応する拠り所として見出され、創造されるもの」だとする。だから「神話」だというのである。
なるほど、これは百川君の見方とは異なっている。ただし、その異なりは、ある事象を積極的に見るか消極的に見るか(肯定的、否定的では強すぎるかもしれない)の違いによるのかもしれない。山下氏は、繰り返すように、「近世神話」の意義を提唱しようとする立場だから、当然ながら事象を積極的に見ることになるのだろう。さらに言えば、百川君の捉え方の根本には、人間がこの世に生きていくことの困難さへの諦観のようなものがあるように思われる。たとえば、こんな言葉が現れる。――「異界は元来、救済という問題にかかわっているため、あらかじめ言ってしまえば異界への問いはほとんど死への問いを孕んでしまうのである」(「異界・内面・権力」『内なる宣長』)。こうした「死への問い」というような発想は、おそらくは山下氏の中にはないだろう。だが、一人一人の個体が「死」を必然的に抱え込んでいる以上、異界のありようもまた、それを排除することはできない。百川君の近世の像が「いささか暗すぎる」のは確かであるにしても、あるいはまたその像が表面的にはどんなに明るく映ろうとも、その根本に「死への問い」が深く横たわっているのは間違いないように思われる。

以上、山下久夫氏の報告に触発されて、百川君の異界論についての感想を、百川君の思い出とともにあれこれ述べてみた。文字通りの感想であるには違いないが、学術にも多少かかわるところがあるので、「雑感」ではなく「研究」に分類しておく。

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