いま、ネット配信のカルチャー講座の収録を行っている。『万葉集』について、話している。次回の収録では、大伴旅人(おおとものたびと)を取り上げるのだが、その準備をしている中で、象(きさ)の小川について書いた、昔の小文を二つ発見した。どちらも小さな雑誌に書いたもので、ほとんど知る人はいないと思う。それで、その二つをここに載せることにした。ただし、どちらも全文ではない。学問的な内容ではないが、「雑感」ともやや違うので、とりあえず「研究」に分類しておく。御容赦を乞う。
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東京に住んでいることもあり、吉野を訪れた回数はそれほど多くない。桜の時期にも行ったことがない。授業開始直後にあたるので、教師稼業の身ではとても無理である。それでも、吉野を訪れると、いつもロープウエイで山上に上(のぼ)り、蔵王堂を経て、中千本(なかせんぼん)から象川(きさがわ)に沿いに宮滝に下るコースをたどることにしている。地元の観光案内には「吉野宮滝万葉コース」とある。
象川(きさがわ)の細い流れが喜佐谷(きさだに)になるが、そこを下っていく途中に、桜木神社という小社があり、天武天皇を祀っている。神社に渡るための小橋は屋形づくりで、あまり例のない、めずらしいものらしい。ちょうど一服するのにふさわしい場所である。
宮滝では、吉野川にかかる橋の上から「夢(いめ)のわだ」がながめられる。象川が小さな滝になって吉野川に流れ落ちるところが、古くからそう呼ばれている。ここには、「吉野歴史資料館」がある。
宮滝からはバスに乗らず、大和上市(やまとかみいち)まで歩く。吉野川に平行する国道169号線である。途中、右手に原生林の姿をそのまま残す妹山樹叢(いもやまじゅそう)があり、傍(かたわ)らに式内社(しきないしゃ)大名持神社(おおなもちじんじゃ)が鎮座する。その前の流れが、大汝(おなんじ)参りの風習で知られる潮生淵(しおいぶち)である。大汝参りは、大和国中(くんなか)の祭の頭屋(とうや)にあたった人が、大名持神社に参拝し、禊ぎをする場所で、そこを古来、潮生淵と呼んだ。ここから潮が湧くと信じられたらしい。オナンジは大名持の訛り。大名持は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名である。
寄り道になるが、吉野町役場近くの桜橋を渡ると、柿の葉ずしで知られる「平宗(ひらそう)」の本店がある。奈良近辺では、どこでも食べられる柿の葉ずしだが、ここのは風味が違う。猿沢の池近くにも支店があるが、そこのもたしかな味である。沿線の近鉄売店でも、同じ「平宗」の商標で柿の葉ずしを売っているが、味はなぜか落ちる。どうしてなのか、理由はわからない。
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以前、ドイツに一年ほど滞在していたことがある。その間(かん)、列車でヨーロッパのあちこちを旅した。日本とはあまりにも異質な風景に、驚かされることがしばしばだった。果てしない平野。わずかな起伏はあるものの、山らしい山は見られず、田園風景がどこまでも続いている。時折、灌木の列がゆるやかな曲線を描きながら、うねうねと延びているのが車窓から見えることがある。木々が点々としているところもあれば、密生しているところもある。ともかくも一筋にずっと続いている。近づくとわかるのだが、そこにはかならず小川がある。目立った土手があるわけではなく、たやすく手を入れられそうなくらいに、浅くゆったりと流れている。木(こ)の間(ま)を透(す)かした陽(ひ)ざしが川面(かわも)にキラキラと映っている。
オフィーリアが入水したのも、なるほどこんな川だったのだろうと、納得された。ロンドンのテート・ギャラリーに、漱石が『草枕』で紹介したJ・E・ミレーのよく知られた絵があるが、そこに描かれているのは、まさしくそのヨーロッパの小川である。もっとも、漱石の紹介文は、手の位置など、ミレーの絵の実際とは微妙に違っている。記憶の誤りがあるのだろう。
それはともかく、そこでも、象(きさ)の小川を歌った大伴旅人(おおとものたびと)の歌が、すぐに頭に浮かんだ。象の小川とヨーロッパの小川。山水に囲まれた自然と、のどかな田園風景。どちらも懐かしさを誘う風景といえようが、その違いは風土ばかりでなく、それぞれの思想を育むものの差を示しているように思われてならない。論理的な検証を経ているわけではないが、このことは、案外と大きな違いではないか。
象川(きさがわ)二題
投稿日:2023年3月25日 更新日: