昨今の生成AIの進化は驚くほどだが、自分に関係することが出て来るとは思いもしなかった。
Wikipediaには、誰が情報を入力してくれたのかはわからないが、私の項目がある。ずいぶん以前、そこにちょっとした誤りがあるのを見つけて、気持ちが悪いので修正させてもらったことがある。
Wikipediaを見る際に限らず、私はパソコンの検索画面は、YAHOOにしている。お仕着せのように用意されているGoogleは、使い勝手が余りにも悪いので、利用しない。
そのYAHOOの検索画面に、昨日、私の名を入れてみた。来月初めの高岡での講演、あるいは再来月の千葉の文化創造アカデミーの講座について、何か情報が出ているかと思ったからである。
その検索欄に、「ウェブ」「画像」「動画」「知恵袋」「リアルタイム」などと並んで、「AIアシスタント」の表示項目があることに、初めて気づいた。少し前まではなかったように思うから、ごく最近になって設けられた項目だろう。
そこで、早速、そこを開いてみた。どうやら、チャット形式で、私についての質問を、あれこれ答えてくれるらしい。まずは「多田一臣氏について」とあり、以下「多田一臣の代表的な研究テーマは何ですか?」「多田一臣の専門分野における最近の動向は?」「多田一臣の研究が社会に与えた影響は?」などの質問が用意され、それへの答えが、生成AIの作成した文章によって明らかにされている。それ以外の質問も、検索側の要求によって、つまりchatGPTのような方法で、いろいろと増やせるらしい。
その内容をのぞいてみた。Wikipediaよりずっと詳しく、しかもなかなか具体的である。私の古代文学研究の方法的視点、表現論とか世界像の問題にも、きちんと言及がなされている。おかしなところもないわけではないが、概して妥当と思われる答えが用意されている。
思うに、私の書いたものを、どのような手段かはわからないが、あれこれと読み込み、それをもとにこうした質問や答えを生成しているのだろう。私のこのブログ記事の内容まで反映されているから、これにも驚く。
とはいえ、このことは恐ろしくもある。生成AIの進化は、やがてそれ自体が、人文学のような学問分野においても、独自の研究論文を生むことになるに違いないからである。そうなると、近未来の問題ではあろうが、研究ということの本質的な意味がどこにあるのかがあらためて問われることにもなる。大変な時代になったものである。