ずいぶんと寄り道をしたが、最後に、髪長比売の名について触れておきたい。
まず、『古事記』「応神記」で、応神天皇が髪長比売を召し出す場面を見ておこう。
天皇(すめらみこと)(応神)、日向国(ひむかのくに)の諸県君(もろがたのきみ)の女(むすめ)、名は髪長比売(かみながひめ)、その顔容(かたち)麗美(うるは)しと聞こし看(め)して、使はさむとして喚上(めさ)げたまひし時に(お側でお使いになろうとして、お召し出しになられた時に)、その太子(ひつぎのみこ)大雀命(おほさざきのみこと)(仁徳)、その嬢子(をとめ)の難波津(なにはのつ)に泊(は)てたるを見て、その姿容(かたち)の端正(きらきら)しきに感(め)でて(その姿の光輝くような美しさに魅惑されて)……
私の『古事記』の注釈『古事記私解Ⅰ』(花鳥社)では、ここに、以下のような説明を加えた。
髪長比売の名は、美女であったことを示す。髪が長いことが美女の条件とされた。ウルハシは、隅々まで完璧に整った理想の状態の讃め言葉である。髪長比売は難波の港に着くが、その姿の美しさに魅せられた大雀命が、建内宿禰に頼んで、自分に与えてもらうようにしてもらうという話である。キラキラシも光り輝くような美しさを称える言葉で、もともと神性をもった存在への讃め言葉になる。
基本はこのとおりなのだが、髪長ということに、もう少し関心を向けておきたい。ここに記したように、髪の長いことが美女の条件とされた。その前提には、おそらく髪に現われる異質な身体性がある。髪は身体の一部でありつつも、外部性をつよくもつ。なぜなら、髪は、勝手にどんどん伸びるし、何より切っても痛みを感じないからである。
そこから髪は、霊的な性質をもつとされた。恐ろしい出来事に遭うと、いまも「髪が逆立つ」というが、古い時代には、これを「頭(かしら)の毛も太る」と表現した(『今昔物語集』などに例がある)。外部の霊的な力が、まずは髪に依り憑くとされたからだろう。
いま外部の霊的な力と述べたが、神もまたそのようにして、髪に依り憑くとされた。そもそも、髪(かみ)は、上(かみ)、神(かみ)と意味の上で重なりをもつ。もっとも、上代特殊仮名遣いという仮名の違い(髪、上のミは甲類の仮名、神のミは乙類の仮名)があり、それを根拠に、髪、上と神とはまったくの別語と見るべきだとする説もあるが、それは間違いである。仮名の違いはそのとおりだが、むしろ同一範疇(グループ)に属する言葉の中での相違であって、むしろ関連の深さを認めるべきである。平たく言えば、近縁者・近親者同士の中の相違で、赤の他人ではないというところが、重要だということである。
それゆえ、神は髪に、とりわけ女の髪に依り憑いた。神を待ち迎えて祀るのは、基本的に女の役割である。その場合の神は、男神として意識されるが、その神を祀る女は神の妻とされた。それが巫女(ふじよ)である。巫女は、神の妻だから理想的な美女でなければならなかった。それゆえ、巫女は、神を依り憑かせるため、髪を長く伸ばした。いまも、神社の巫女が髪を長くしているのは、そのためである。しかも、その髪には、髪の聖なるありかたを示す髪飾りを付けている。あれは、単なる装飾ではない。
ここで興味深いのは、天武天皇の時代に、「結髪令」と呼ばれる法令が出されたことである。『日本書紀』「天武紀」十一年(六八二)四月条に、
今より以後(のち)、男女(をのこめのこ)、悉(ことごとく)に髪結(かみあ)げよ。
とある。女はこれまで髪を後ろに長く垂らした垂髪であったが、これを非文明的な習俗であるとして、中国にならって「結髪」にすることを、命じた記事である。
ところが、二年後、この「結髪令」に修正が加えられる。「天武紀」十三年(六八四)閏四月条の記事に、
……女(めのこ)の年四十(よそぢ)より以上(かみつかた)は、髪の結(あ)げ、結(あ)げぬ……並(なならび)に任意(こころのまま)なり。別(こと)に巫(かむなぎ)祝(はふり)の類(たぐひ)は、髪結(あ)ぐる例(ためし)に在(あ)らず。
とある。
この修正は、とりわけ神とかかわる存在に、不都合さが意識されたためだろう。「巫祝」 とあるから、男女の神職と見てよいが、中心は巫女(ふじよ)に置かれていただろう。神を依り憑かせるためには、垂髪であること、髪を長く垂らすことが必須であったからである。
四十歳以上の女にも、結髪するかどうかは、任意とある。その理由は、女のライフサイクルにある。女は、基本的に、すべて神の女とされた。これは、男女を問わないが「七歳までは神の子」という言葉がある。子どもの霊魂は、あの世からやって来たものとされ、七歳になる前に夭死すると、「あの子の霊魂は神の世界に戻ったのだ」と信じた。七歳を区切りと見る観念は、いまも七五三の風習に残る。その後、女は成長して結婚し、人間社会の中で生きることになるが、四十歳になると老年とされ、ふたたび神の世界と結びつく。老人となることが、神に近づくことでもあった。だから、四十歳以上になったら、女は髪を垂髪にしてよい、というのである。女の、子を産む能力、あるいは死者をあの世に送り届けることのできる能力は、女の存在を絶えず神にかかわる存在として意識させた。
「結髪令」によって、女は、髪を結いあげるようになっても、夜はそれを解いて、髪を床に長くなびかせて寝た。とりわけ、男を待ち迎える際には、そうして寝ることが、一つの約束でもあった。『万葉集』の中から、一首だけ、それを歌った歌を紹介しておく。
ぬばたまの妹(いも)が黒髪今夜(こよひ)もか我(わ)が無き床(とこ)に靡(なび)けて寝(ぬ)らむ(巻十一・二五六四)
(訳)ぬばたまの妹の黒髪を今夜もまた、私のいない床に靡かせて寝ているのだろうか。
男の歌である。男にはしばらく通えない事情があるのだろう。その男を待ちつつ、長い黒髪を寝床になびかせて寝ている女の姿を想像して歌っている。
男が女のもとに通うことだが、男は巫女(ふじよ)(神女、神の妻)のもとに通う神の姿にわが身を擬している。夜、人目を忍ぶように通うこと、夜が明ける前に女のもとを去らなければならないことなど、神の通いと相似形である。そこで、女もまた、巫女(神女、神の妻)にわが身をとりなして、男を待ち迎えるのである。髪を床に長くなびかせて寝るのはそのためである。
このように見てくると、髪が長いことは、女の本質にとって、必須であったことになる。髪が長く美しいこと、それこそが、神に選ばれる女の条件だった。応神天皇に見初められた女の名が髪長比売であったことの理由は、ここにある。景行天皇が、日向髪長大田根(ひむかのかみながおほたね)を妃(きさき)としたというのも、その髪が長く美しかったからであるに違いない。
川端康成の連続テレビ小説「たまゆら」から、あちらこちらに脱線して、まとまりのない話になったが、日向神話の一端について述べた。