以前は、大きな駅の構内、その近くには必ず本屋があり、そこで買った本を電車の中で読むのが楽しみだった。ずいぶん大昔、千葉大学に通っていた頃は、片道一時間半ほどはかかるから、新書ならまるまる一冊が読めた。そうして読んだ本に、いまもずいぶんと助けられている。
それほど昔の本ではないが、やはり駅近くで買った二冊を思い出した。トランプ政権のやりくちのひどさに呆れたからだが、それでその二冊を本棚の奥から出して読み直してみた。
一冊目は、飯山雅史『アメリカの宗教右派』(中公新書ラクレ、2008年9月)、二冊目が、標題にした宮武外骨『アメリカ様』(ちくま学芸文庫、2014年2月)である。
『アメリカの宗教右派』は、2008年のアメリカ大統領選挙の直前に刊行された本だが、アメリカが、建国以来、宗教国家であることを基本としていること、とりわけその宗教右派の活動が、〝リベラルの行き過ぎ〟に対する強い反撥から生じており、それが大統領選挙にも大きな影響を及ぼしてきたことを明らかにした本である。二昔ほど前の刊行ではあるが、今回の大統領選挙でのトランプの圧勝を見ると、この本に説かれていることが、いまもなお現実として存在していることがわかり、なかなか興味深く読んだ。
もう一冊の『アメリカ様』は、もともと、戦後まもない時期、1946年5月に刊行されている。宮武外骨は、反骨のジャーナリストで、軍閥、財閥等の存在を徹底して嫌い、言論の自由を主張して、権力批判を繰り返し、たびたび筆禍を起こして、獄にも数度つながれたりしている。一方で、新聞、雑誌等の蒐集にも尽力し、それが東大法学部の明治新聞雑誌文庫の淵源にもなっている。『アメリカ様』に併載された「改訂増補 筆禍史(抄)」は、そうした新聞、雑誌等の資料をもとに、幕末から明治前期あたりまでの筆禍の歴史を丹念にたどった労作である。筆禍の対象となった大久保利通暗殺のルポ風の記事などもそのまま引用されている。
そこで『アメリカ様』だが、軍閥・財閥等を解体し、言論の自由をもたらしてくれた戦勝国アメリカを、外骨は「アメリカ様」と呼び、その恩顧に対して、手放しで感謝の言葉をもらしている。戦前の、軍閥・財閥の勝手放題なふるまい、また政府の横暴がいかに理不尽なものであったのかが、あちこちで述べられている。だから、そこから解放してくれた「アメリカ様」には、いくら感謝してもしきれない、という姿勢がまずは貫かれている。
だが、「アメリカ様」という言い方には、当然ながら、毒がある。明確には記していないが、外骨はその胡散臭さを鋭敏に感じ取っている。文庫本の裏表紙の紹介文を借りると、「アメリカを褒め殺すことで、新たな主人にしっぽを振りはじめた日本人の姿を皮肉る」意図が、ここにはあったことになる。「アメリカ様」が言論の自由をもたらしてくれたことを礼賛してはいるが、実は、この『アメリカ様』の中の一頁は、GHQの検閲に引っかかり、削除を余儀なくされている。「米国進駐軍マッカーサー司令部より削除を命ぜられたる『アメリカ様』の一頁」とある箇所だが、その項目「近頃若盛りの強盗が多い理由」は、文庫本には載せられている。
この文庫本の刊行年は、先に注記したように2014年だが、そこに収められた西谷修氏の懇切な解説「「アメリカ様」と「つよい日本」」が、なかなかおもしろい。
西谷氏は、戦後のいわゆる「逆コース」以後、日本が対米従属をつよめ、とりわけ「逆コース」の推進役であり、アメリカにひたすら擦り寄ることで、戦犯としてのありかたを免除してもらった岸信介の孫、時の首相である安倍晋三の、これまたアメリカ追随の姿勢を、厳しく指弾する。その「つよい日本」という言葉が、いかにいかがわしいものであるのかについても、徹底した批判を述べている。だからこそ、反権力の姿勢を貫き続けた、外骨の『アメリカ様』をいま読むべきだというのである。
西谷氏のこの認識は、私のそれと重なるところが大きい。このブログでも、「全体主義国家・日本」「同・続」「コリーニ事件・続」「民主主義の危機」「同・再論」などに、そうした私の認識を記している。
そこでも述べたことだが、もっとも大きな問題は、そうした安倍のような政権を、国民が圧倒的に支持し続けたという事実である。そこがもっとも恐ろしい。
今回の参議院議員選挙でも、ポピュリズムの流れが際立ち、あやしげな政党が勢力を伸張したと総括されているが、その支持者は安倍の支持者とも近いと聞く。トランプが大統領に選ばれた背後にも、ポピュリズムの流れがあるとされるが、これはやはり危険な兆候だろう。ヒトラーが民衆の圧倒的な支持を受けて権力を獲得した事実を忘れてはならない。
西谷氏ではないが、だからこそ、この『アメリカ様』を、いままた読み返してもよいのではないかと思う。
宮武外骨の外骨の読みはガイコツだが、一時期、本人はトホネと読んでいた。明治新聞雑誌文庫に蒐集されることになる資料を、外骨は「蔵六文庫」とも呼んでいる。「蔵六」は、亀の異名である。甲羅の中に、頭、尾、四足を蔵(隠)すから「蔵六」なのだが、外骨もトホネと呼べば亀を意味するというのである。外骨は甲羅だというのだろう。自身を韜晦させる意味があるのかもしれない。
もう一つ、『アメリカ様』の最後に「図書奥附の革新」という項目がある。最近刊行の本にはさすがに見なくなったが、以前の奥付には、発行日とともに印刷日が記されていた。しかし、ここで外骨が述べているように、印刷日を記すのは、「法文上の旧形式」であり、さらにいえば印刷日と発行日の間に、官憲による検閲があることを前提としているからである。外骨は、それゆえ印刷者、印刷所の名をも含めて、「ここに記入するを要せずとして省く」としてある。その奥付は、事実、そのようになっている。奥付に印刷日を記すことが、惰性のような慣習としていつまで続いたのかはわからない。たまたま横にあった新潮日本古典集成『竹取物語』を見たら、印刷日がまだしっかりと記されている。今も、ひょっとするとそうした奥付の本があるかもしれない。