閃輝暗点(せんきあんてん)の文字を見て、すぐに意味がわかるのは、医療関係者かその症状をもつ人だけだろう。この文字をどう訓むのかでさえ、ふつうの人にはわからないだろう。
四年ほど前、パソコンの画面を見ていたら、突然、画面の一部が見づらくなった。その一部がチカチカと光るようで、無理に見ようとすれば見えるが、やはりおかしい。おかしいのは左目である。
それで、目薬を点(さ)したが、ますます眩(まぶ)しくなる。そのうち、左目の左上あたりに、歯車状の黒っぽいギザギザが現れた。
これはまずいと思って、ネットで調べたら、どうやら閃輝暗点らしい。二十分ほど目を閉じて安静にしていれば治るとあったので、その通りにすると、なるほど元に戻った。回復はしたものの、頭がいつもより重い感じがする。
さらにネットで調べると、偏頭痛を伴うことが多いらしい。脳梗塞や虚血性の脳血管の異常の場合もあると記されていたので、心配になり、脳神経外科の病院でMRIを撮ってもらった。幸い異常はなく、どうやら脳血管の一時的な収縮が原因らしい。症状がなくなったところで検査しても、脳梗塞などではないかぎり、異常は見つからないのだという。
ネットの記事には、芥川龍之介の「歯車」が、閃輝暗点を描いた作だとあった。読み直してみると、確かにそのとおりである。
(主人公の「僕」はホテルへの道を歩いている)僕はそこを歩いてゐるうちにふと松林を思ひ出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつている半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合はせてゐた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じ始める、――それはいつも同じことだつた。
なるほど、閃輝暗点の症状にぴたりと符合する。閃輝暗点に伴う偏頭痛は、比較的若い世代によく見られる症状だというから、私の場合には、頭がややぼんやりする程度で済んでいるのかもしれない。若い頃に、「歯車」のこの箇所を読んだ時には、精神衰弱による芥川の妄想かと思っていたのだが、そうではなかったことがわかった。この小説が「歯車」と題された意味が、やっと理解できたことになる。
定期的に検診を受けている眼科の先生に、閃輝暗点の話をしたら、「私も若い時から閃輝暗点になっていましたよ」と言われて驚いた。その先生は、私と同年齢である。
閃輝暗点の症状をもつ人は、どのくらいいるのだろう。