ケーブルテレビの契約をしたのは、前にもどこかに書いたように、クラシカ・ジャパンの視聴が目的だった。「ヨーロッパ直送宣言」を謳う、クラシック音楽、オペラ、バレエを専門とするチャンネルである。それが、放送打ち切りになってしまい、その代わりというわけではないが、AXNミステリ-という、内外のミステリー番組を放映するチャンネルをよく見るようになった。
そこで、ごく最近、「刑事フォイル」を、まとめて見た。英国で制作されたミステリーである。作者は、アンソニー・ホロヴィッツ。2015~2016年に、NHK BSプレミアムで放映されたこともあるようだが、それは見ていない。日本の声優による吹き替え版だったらしいから、それで見なかったのかもしれない。吹き替え版は、まず見る気がしない。名探偵ポアロのシリーズは、AXNミステリーでも、始終放映されているが、あれなどは吹き替え版しかないから、やむを得ず見ている。もっとも、エルキュール・ポアロ役の熊倉一雄の声は、一つの典型を見事に作り出しているから、吹き替え版ではあっても、さほど違和感を覚えずにいたのだが、ある時、AmazonのPrime Videoが提供している字幕版(無料なのはごく最初のもののみだが)を見たら、随分と印象が違って驚いたことがある。これも、やはり字幕版の方がすぐれている。吹き替え版は、どこまでも熊倉一雄のポアロでしかないことがよくわかった。
「刑事フォイル」は、AXNミステリーでも、ずいぶん前から放映されていたのだが、なぜか見る機会を逸していた。
ただし、これは、ミステリーではあるが、いわゆる刑事物とは、大きく一線を画す作品である。第二次大戦の戦時下から、戦後間もない頃の英国を舞台としているが、その当時の英国の世相がどのようなものであったのかを、フォイルのかかわる事件を通じて明らかにしようとしている。そこに、作者の意図があったのかもしれない。
だからこそ、原題は“Foyle's War”なのであって、それを安易に「刑事フォイル」の題名にしてしまったのは、実に愚劣だと思う。第一、フォイルは、刑事ではあっても、モース警部(Inspector Morse)などとは違って、階級は警視正(Detective Chief Superintendent)だし、戦後は所属がMI5(治安維持の諜報機関である保安局)に異動したりしているから、刑事畑とはいえ、他の刑事物の主人公とは、まったくその像を異にしている。
この作品を見ると、なるほど、戦時下の英国がどのような状況にあったのかがよくわかる。ドイツ軍のポーランド侵攻に際して、ドイツに対して優柔不断の姿勢しか示せなかったチェンバレンに代わって、徹底抗戦を主張するチャーチルの政権が誕生すると、ドイツ軍は英国の都市を標的とする無差別爆撃、焼夷弾攻撃を繰り返すようになる。とりわけロンドンの戦禍は甚大なものがあったという。
「刑事フォイル」は、そうした状況を背景に、ロンドンを逃れて地方に移住する人々、ドイツに降伏したオランダやベルギーからの亡命者の存在(エルキュール・ポアロも、ベルギーからのそうした亡命者の一人とされるが)、敵国であるドイツやイタリアに出自があることで手ひどい差別を受ける人々の存在があったこと、その一方で、ナチスの主張への共感から、ユダヤ人の排撃を主張し、ドイツとの宥和を図ろうとする上層貴族がいたことなどを、それぞれの話の中に巧みに取り入れている。ドイツ軍のフランス侵攻の過程で、英仏軍がダンケルクから撤退したことなども、印象深く描かれている。
戦時下、フォイルが勤務していた警察は、英国南部の町ヘイスティングスにあったとされる。ポアロの相棒役のヘイスティングス大尉と同名で、こんな名の町があることはまったく知らずにいた。アガサ・クリスティが住んでいたデヴォン(州)は、ジョン・ゴールズワージーの『デヴォンの男』『林檎の樹』などで、私にはなじみが深いのだが、同じ南部でもヘイスティングスは、ずっと東寄りになる。海に面した町だから、なるほど海上戦になった場合は重要な拠点になるし、敵からの侵攻を受けやすい場所でもある。そうした状況も、この作品は的確に描いている。
いずれにしても、「刑事フォイル」によって、いままでまったく意識したことのなかった英国の戦時下の状況を知ることができて、その意味でも、とても興味深かった。
作者のアンソニー・ホロヴィッツは、1955年の生まれだから、そうした状況は直接の経験ではないはずだが、ここに描かれたような現実は、誇張はあるにしても、間違いなくあったに違いない。ホロヴィッツはユダヤ系らしいから、その主張もどことなく現れているように見える。
もとより、ホロヴィッツは、ミステリー作家として並々ならぬ才能をもつ。『カササギ殺人事件』を一読すれば、そのことはすぐにわかる。AXNミステリーで、アガサ・クリスティを取り上げた番組があったが、そこに登場したホロヴィッツは、話し好きの、いかにも好人物といった印象だった。