雑感

恥ずかしい誤り

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東大の文学部のHPの教員紹介のところに、教員エッセイ「私の選択」という欄がある。駒場からの進学者向けに、毎年、文学部の教員が交代で執筆しているもので、私も2011年に、それを書く役割が回ってきた。

その冒頭部分に、私は次のようなことを記した。

昭和43年の入学だから、大学闘争の体験はいつまでも切り離すことができずにいる。いま考えると、大学が大衆化していく走りの時期だったのだと思う。東大に入学する女子学生がはじめて百人を越えたのもこの年だったように記憶しているし、建前上はともかくも、このあたりまでは、東大総長の権威は文部大臣よりもずっと上だった。

この内容に大きな誤りがあることに、いまになって気づいた。「女子学生がはじめて百人を越えた」と記したところである。

なぜ気づいたのか。終活の作業ということで、目下、手許の古い書類や雑誌などを整理している。その書類の中から、「東大新聞」の昭和43年3月20日号が出て来た。東大合格者の発表特集号で、すべての合格者の受験番号、氏名、出身校名が掲載されている。情報公開がうるさく問われる現在なら、とても許されない内容だろう。

その小見出しには「三〇六三人が合格 現役勢五割わる」とあり、続けて「女子は史上最高」とある。
その記事を見て、大きな勘違いをしていたことに気づいた。この年の女子合格者は139名で、これは「史上最高」の数なのだという。ところが、その前々年、昭和41年の合格者も112名であったとあるから、「はじめて百人を越えたのもこの年だった」と記したのは、まったくの誤りだったことになる。もっとも、その前年、昭和42年の合格者は91名であったとあるから、そのことが「はじめて百人を越えた」と記した、私の誤認を導いたのかもしれない。それにしても、恥ずかしい誤りであるには違いない。

本年、令和7年の女子合格者は664人で、全合格者の21・3%だという。私たちの頃のほぼ6倍の数になっている。それでも、全合格者の二割強というから、まだ少ないように思う。

私が書いた「私の選択」は、15年も前のものだが、いまも文学部のHPで見ることができる。そんなこともあるので、ここでその誤りについて記すことにした次第である。

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