コロナ禍による閉居状態は、もう二年半にも及ぶ。家にばかり居ると、ついテレビを見てしまう。もっぱら、ミステリーである。先日も、WOWWOWプラスで、アガサ・クリスティ原作の「検察側の証人」を見た。こういう作品があることを、まったく知らずにいた。
短編小説が原作だというので、それなら読めるかもしれないと思い、AMAZONで注文してみた。驚いたのは、原作そのものではなく、学習者向けに平易に改めた本文が届いたことで、中級者レベルという表示まである。
原作とどれほど違うのかは定かではないが、辞書も引かずに、一時間もかからずに読むことができたのだから、私の劣化した英語力には、むしろぴったりだったのかもしれない。
なかなか親切な本で、難しい語句の説明なども、末尾にまとめて注記されている。Collins English Readersというシリーズの中の一冊である。
この本の説明で、英国の司法制度について知ることができたのは、さらに有り難かった。lawyerは、弁護士かと思っていたら、検察側もlawyerだという。この作品の原題は“THE WITNESS FOR THE PROSECUTION”だが、そのTHE PROSECUTION(検察側)である。これが集合名詞(collective noun)であるところも興味深い。
一方、弁護側のlawyerにも二種類あり、裁判所の実際の審理の前に、被告人のために、証拠集めや証人探しをするlawyerと、法廷で証人に質問し、陪審員に向けて弁論するcourt lawyer、つまり法廷弁護士とがあるのだという。さらに調べると、前者をsolicitor、後者をbarristerと呼ぶらしい。テレビで見た際、主人公の弁護士(小説では、Mr.Mayherneとある、以下同じ)が、別の弁護士つまり法廷弁護士(Sir Charles)に、なぜ弁護を依頼するのかがわからなかったのだが、それが右の説明で釈然とした。法廷弁護士のみが、法服に鬘(かつら)を着けるが、横にいる主人公の弁護士は、通常の背広姿であり、法廷では一切発言しない(できない)。
二種類の弁護士が弁護の任にあたることが、果たして被告人の利益につながるのかどうか。私には不合理なようにも思えるのだが、英国の司法制度がこれを採用している以上、何らかの利点もあるのだろう。
右に述べたことは、法学部で勉強した人ならば、おそらく常識に近いことなのかもしれない。しかし、テレビでこの作品を見るまで、英国に二種類の弁護士が存在することを、私はまったく知らずにいた。
なお、テレビと原作である短編小説との違いだが、平易に改めた本文とはいえ、後者の方がずっと緊密度が高い。殺された被害者(Miss.Emily French)に仕えていたメイド(Janet Mackenzie)が、無実の罪で絞首刑になり、責任を感じた弁護士が死を選ぶという、テレビの結末も、わからなくはないが、どこか後味が悪い。原作では、弁護士自身が、微細なふるまいの記憶から、犯人(Romaine Heilger)の巧妙なトリックに気づく。そこが、テレビとの大きな違いになる。こちらの方が、アガサ・クリスティらしいひねりが効いているように思うのだが、どうだろうか。