雑感

小さくなる財布

投稿日:

二年半前、このブログに「大きくなる財布」と題する一文を書いた。二つ折りの財布を買い換えようと思ったが、サイズがどれも大きくなっていて、シャツの胸ポケットに収まりそうもないので、困ったという内容である。

今回の題は、それとは真逆になる。先日、どこかの新聞記事をながめていたら、財布がどんどん小さくなっているとあった。その理由は簡単で、現金を持ち歩かない人が増えており、財布を持ち歩く際にも、最小限の現金が入ればよいとするような傾向が強まっているからだという。二年半前とは大きく事情が変わったことになる。

なぜ、そうした変化が生じたのか。いまやスマホが財布代わりとなり、現金での支払いをせずに済むような状況になったからだという。財布には、カード類が何枚も入っていたものだが、そうしたカード類の機能も、スマホに統合されるようになったというから、そこでも財布は不要になる。
これも以前のことになるが、やはりこのブログに「スマホを強制する社会」という一文を書いたことがある。そうした社会の到来を、「小さくなる財布」は証明しているのかもしれない。

私はというと、ずっと二つ折りの携帯(いわゆるガラ携)の愛用者だった。ところが、一昨年、一月ほど入院した際に、息子によって、ほぼ強制的にスマホに変更させられてしまった。それ以来、スマホを所持はしているものの、LINEでの家族間の連絡、外出時の通話とメール確認だけにしか使用していないから、実際の利用実態は、二つ折りの携帯の頃とほとんど変わっていない。スマホで写真を撮ろうとも思わないし、どこかに接続して映像を見ようとも思わない。基本は在宅生活だから、パソコン利用がほとんどだし、病院のような待ち時間の多いところでは、ipadを持参し、それでPrime videoを見たりしているから、小さなスマホの画面などは、まず見ない。

スマホは、画面は小さいくせに、なぜこんなに重いのか。目方を計ったら、275gもある。ポケットに入れると、ずしりと持ち重りがする。ところが、電車に乗ると、こんなに重いものを手にして、皆が皆、一心不乱に画面をながめている。私など、実に恐ろしい光景だと感じるのだが、誰もそうは思わないのだろう。道を歩く時でさえも、スマホから目を離さない。老若男女を問わずである。剣呑極まりないのだが、この重さでも何とか手に持つことができるから、そうしたことになるのだろう。実に馬鹿げた話である。

これも「スマホを強制する社会」の一例になるが、過日、講演をするため、久しぶりに千葉に出向いた。腹ごしらえの必要があり、そうした店を探した。以前は、千葉駅のエキナカに、魚屋が営む、廉価で寿司が食べられる店があり、よく利用したのだが、コロナ禍でどこかに消えてしまった。それで、同じエキナカのレストランに入った。すると、驚いたことに、そこはスマホ必携の店だった。客は席に着くと、そこに掲示されたQRコードをスマホで読み取り、現れた画面上で注文するシステムになっている。コーヒーは、温冷どちらなのか、食前食後のどちらにするのか等等も、いちいち入力しなければならない。面倒といえば面倒だが、これが便利だという人もいるのだろう。以前のように、二つ折り携帯しか所持していなかったら、どうしただろうと思う。ウェイトレスも料理を運ぶ時しか姿を見せないから、口頭での注文は難しそうである。すごすごと他の店に行ったのかもしれない。
さて、支払いの段になって、様子を見ていると、他の客は皆スマホをかざして決済している。そこで、現金でもよいのかと尋ねたら、可能だというのでそれで支払った。現金を持ち歩かないのが、いまや当たり前になっていることを、ここでも実感した。

さて、こうした状況がさらに一般化すると、先にカード類の機能の統合と記したように、あらゆる社会生活上の機能がスマホに集約されるようになり、その結果、スマホを所持することが、生きていく上での最低限の条件とされるようになるのかもしれない。マイナンバーカードに健康保険証や運転免許証が統合されつつあるが、そうした機能も、どうやらそのままスマホに移行されるような気配らしい。そうした流れに逆らうのは、次第に難しくなりつつあるのだろう。

とはいえ、敢えていうなら、これはスマホに支配されることではないのか。誰もがスマホの仕組みに組み込まれ、何ら疑いを抱くことなく、そこに現れた指示に従うような事態もいずれ起こりうるのではないか。スマホの作り出す仮想現実が現実となり、それをどこかで操る闇の支配者が現れないとも限らない。これは馬鹿げた空想だろうか。電車の中で、目の前に座る七人掛けの座席の全員が、一心不乱に画面を見つめている光景は、私には不気味だとしか思えない。これが人としての主体的な営為であるとはとても思えない。どう見てもスマホに支配されている。だから、ここでもやはり、映画の“The Matrix”を思い起こしてしまう。

「小さくなる財布」は「スマホを強制する社会」と不可分であるに違いない。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.