雑感

鼻毛の話

投稿日:2025年1月29日 更新日:

三代目三遊亭金馬は、「世の中は澄むと濁るの違いにて刷毛(はけ)に毛があり禿(は)げに毛がなし」という狂歌を、時折、噺の枕に入れることがあった。金馬は立派なやかん頭だったから、観客の笑いをずいぶんと誘っていた。

私もまた、みごとな禿げ頭である。ただ、完全なやかん頭の金馬とは違って、側頭部や後頭部には、まだ毛が僅かに残っている。
禿げ始めたのは、三十代後半からである。前髪から少しずつ薄くなり、数十年を閲して、いまのような有様になった。

髪がずいぶん薄くなってからも、見得というものがあるから、散髪は、以前からの値段の高い、新宿の一流の店に通っていた。さすがに、そうした店では、髪の量が少ないからといって、値段を下げるなどということはしない。そんなことには一切触れずに、当たり前の料金を当たり前のように請求する。むしろ、お安くしますなどど言われたら、二度と行かないだろう。店の側もよくわかっているのである。

しかし、六十を過ぎてからは、さすがに馬鹿馬鹿しくなって、近くの駅前の、もっぱら髪を切るだけの、ごく安直な店に行くようになった。
コロナ禍で、外出がままならなくなったので、それからは家で、家内に切ってもらっている。
側頭部や後頭部に僅かに残る髪を切ってもらうのだが、気づいたらずいぶんと白髪が増えた。しばらく前までは、黒髪がまだ多かったのだが、いまやまったくのじじい頭である。

以前のブログにも記したが、目下、WEB配信のカルチャー講座(JPカルチャー・オンライン)の収録を行っている。自分の姿が画面に記録されることになるから、じじい頭はいつも気にしている。それで、しばしば鏡を見る。顔も皺と染みだらけのじじい顔だが、気づいたら鼻の穴から、白い鼻毛が飛び出している。さらに穴の中をよく見ると、すべてが白い毛になっている。少し前まで、黒い毛もあったはずなのに、いまは一本もない。

そこで、すぐに、漱石の『吾輩は猫である』に連想が及んだ。主人公苦沙弥先生が、鼻毛を抜く場面である。よく知られた箇所ではあるが、やはり引用しておく。

……主人は又指を突つ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交る中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開く程眺めて居た主人は指の股へ挟んだ儘、其鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「一寸見ろ、鼻毛の白髪だ」と主人は大に感動した様子である。

この箇所の直前には、次のような一節もある。

……今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐつと抜く。……主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いて居るのでぴんと針を立てた如くに立つ。主人は思はぬ発見をして感じ入つた体で、ふつと吹いて見る。粘着力が強いので決して飛ばない。「いやに頑固だな」と主人は一生懸命に吹く。

苦沙弥先生の話にはなっているが、こうやって鼻毛を抜くのは、どうやら漱石自身の性癖であったらしい。抜いた鼻毛を「原稿紙の上へ植付ける」のも、漱石自身がやっていたことだった。内田百閒の「漱石遺毛」(『無弦琴』)に、そのことが出て来る。百閒は、漱石から『道草』の書き潰しの草稿を貰い受け、その推敲の跡を見ようと、めくっていったら、そこに漱石の鼻毛が植え付けられていた。

その中に、変な物のくつついた草稿があるので、何だらうと思つて見たら、鼻毛を丁寧に植ゑつけてあつた。粘着力の強い、根もとの肉が、原稿紙に乾き著いて、その上から外の紙を重ねても、毛は剥落しなかつたのである。

百閒は、ここに漱石の「苦吟の模様」を感じ取っているのだが、それはそれとして、鼻毛を原稿紙に植え付ける漱石の性癖は、三十代最末年の『吾輩は猫である』から、四十代最末年の『道草』執筆の頃まで続いていたことになる。

百閒の見た漱石の鼻毛は、長いの、短いのをあわせて十本あり、そのうち二本が金髪だったとある。だから、大半は黒かったのだろう。
苦沙弥先生を漱石と重ねてよいなら、鼻毛の白髪に驚くのは無理もない。百閒は、後年、『贋作吾輩は猫である』を執筆するが、その折、漱石の『猫』を読み返し、「先生の若い時の作品だけあって、やっぱり《年端もゆかぬ漱石が》というところがあるね」と語ったという(河盛好蔵「遠い思い出」『内田百閒全集』月報5)。
私の鼻毛が白い毛ばかりになったのは年齢相応だが、「年端もゆかぬ漱石」なら、そこに白髪を発見したのは、なるほど初めての体験だったのだろう。

私は鼻毛は抜かない。鼻毛鋏で切る。この鋏は、四半世紀も前にドイツで購入したヘンケルスのものである。わが家では、爪切りもヘンケルスである。あの当時は、三越の出店がパリやローマなどにあり、この鼻毛鋏も爪切りもデュッセルドルフの店で買った。

百閒の「漱石遺毛」がどうなったのかはわからない。戦災で焼失したのかもしれない。ボンのベートーヴェンハウスで、ベートーヴェンの、やや灰色がかった遺髪を見て、ひどく感動した覚えがあるが、この漱石の遺毛がもし現存したとして、はたして公開すべきかどうか。おそらくは、百閒が言うように、「物故文人展覧会に出品すべきものではない」のだろう。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.