企業などが、他に損害を及ぼすような重大な事件を引き起こした際など、責任者が一列に並び、深々と頭を下げながら、「多大な御迷惑と御心配をお掛けしまして、まことに申し訳ありませんでした」という。昨今の謝罪会見なるものは、判で押したようにこのせりふをしゃべる。これではまったく謝罪になっていない。
「迷惑を掛ける」というのは、日常のちょっとした事件や出来事で、相手に負担を負わせてしまった場合に用いる言葉で、深刻に責任が問われるような重大事件に用いるのは、どう考えてもおかしい。人が死ぬような事件で、「多大な御迷惑を……」といっているのを聞くと、「御迷惑」程度にしか考えていないのかと、私などはまず思う。ところが、その場面に直接立ち会っている報道陣からは何の疑問も出ない。いったいどういうわけだろうか。
賠償問題のような対外関係の厄介な場で、日本の責任を明確にしないために、政府高官の誰かがこの「御迷惑」を用い始めたと聞いたことがある。ただし、事実かどうかは確かめていない。もしそうなら、まことに狡猾な言い回しであり、いかにもと思わせる。すると、企業なども責任を全面的に引き受けることを避けて、この「御迷惑」を用いているのだろうか。弁護士の入れ知恵かもしれない。
判で押したように「御迷惑云々」とやるのは、だから少しも謝罪になっていない。私が報道陣の一人なら、この場合の「御迷惑」とはどういう意味なのかと尋ねるのだが、誰もそれをしない。これも暗黙の了解があるのだろうか。