雑感

「メサイア」 ヘンデルという作曲家

投稿日:2024年12月25日 更新日:

先週の土曜日(12月21日)、軽井沢の大賀ホールで、ヘンデルの「メサイア」を聴いた。演奏は、鈴木優人指揮のバッハ・コレギウム・ジャパン。レイチェル・ニコルズ(sop.)以下の独唱者たちの歌唱も素晴らしく、年の瀬の一時を充実した気分で満たしてもらった。

実は、「メサイア」を生の演奏で聴いたのは初めてである。それまでは、もっぱらCD、DVDなどで鑑賞していただけである。そのDVDの中には、ジャン・ジャック・カントロフが、オーベルニュのオーケストラを指揮した珍品(?)もある。ドイツ滞在中に購入したはずだから、四半世紀も昔のことになる。

「メサイア」で気になっていたのは、起立問題である。「ハレルヤ」の合唱の際に起立するかどうかである。「メサイア」のロンドン初演の際、国王ジョージ二世が起立したのが起源のようだが、英国では、それゆえ合唱が始まると起立するのが慣行となっているという。ただし、他の国ではいろいろであるらしい。ごく最近、youtubeで見た、シドニー・オペラハウスのライブ映像では、観客はどうやら立ち上がっているように観察されるのだが、もしそうなら、それは英国との関係ゆえだろうか。

そんなわけで、今回どうなるのかが、ずっと頭の中にあった。とりあえずは、衆に従おうとの心づもりだった。さて、「ハレルヤ」の合唱になったが、立ち上がったのはごくわずかである。それで、座ったままでいることにした。この起立問題は、なかなか厄介である。

このプログラムに、音楽評論家の澤谷夏樹氏が寄稿しているのだが、その内容が実に興味深いものだった。冒頭に「女王も介入する独英戦争」と題する小見出しがあり、ヘンデルを独、英どちらの作曲家と見るかという議論が紹介されていたからである。
ヘンデルが英国に渡り、多彩な作曲活動を行った上で、ロンドンで没したくらいの知識はあったが、英国に帰化していたことは、迂闊にも知らなかった。なるほど、英国の女王(エリザベス二世)が、ヘンデルを自国の作曲家であると強調するのも、一理あることなのかもしれない。
英国でも、ヘンデルは、Händel(あるいはHaendel)と表記するのかと思ったら、Handelだという。ハンドルと発音するらしい。

ハイドンの場合も、英国滞在歴は長く、その間、重要な作曲も行ってはいるが、さすがに英国の作曲家とは呼ばれないだろう。

そこで、ヘンデルなのだが、その音楽性の根幹には、ドイツ的なものが深く浸透しているように思われる。澤谷氏も、「純英国産の『メサイア』にも実は、脈々とドイツの曲、ハレの精神が流れている」と記しておられるが、私もそれに深く同意する。なお、ハレは、ドイツ中部の市で、ヘンデルの出生地である。

軽井沢駅の駐車場に車を駐めて、大賀ホールに向かう途中、矢ヶ崎公園の池が半分凍っているのを見て、冬の寒さを実感したのだが、同時に、2007年の大晦日、やはり大賀ホールで開かれたコンサートを思い起こした。バリトン歌手三人が、「冬の旅」を歌ったのだが、それが驚くような顔ぶれだった。小松英典、ベルント・ヴァイクル、アンドレアス・シュミットの三人で、おそらく小松氏が他の二人を誘ったのだろう。この二人は、いうまでもなく、当時、世界第一級のバリトン歌手だった。ピアノは、コルト・ガーベン。プログラムに「軽井沢の冬、歌合戦」とあったように、後半はワグナーなどの曲が次々と歌われ、歌手も乗りに乗って、アンコールも含めて、いったい何曲歌われたことか。あれほど、充実した大晦日の夜を過ごしたことはなかった。ホールを出ると、雪が霏々として降っていた。そのことを何とも懐かしく思い起こした。

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