昨日(11月13日)、JR東海主催の講演会「武者ノ世がやってきた」を、聴いた。坂井孝一、吉野朋美のお二人が講師だったのだが、ここで述べたいのは、その講演内容についてではない。
そこで配布された、講師紹介の文の末尾に、それぞれ「愛猫家」(坂井氏)「愛犬家」(吉野氏)とあったことが、目を引いたからである。以下に記すのは、そこからの連想にすぎない。
「愛猫家」の坂井氏には、申し訳のないことながら、私は大の猫嫌いである。「愛猫家」に倣(なら)えば「嫌猫家」ということになる。
なぜ、私が猫嫌いになったのか。そこには、大きな理由がある。
小学校三、四年生の頃、私は、小鳥をたくさん飼っていた。文鳥、セキセイインコなどである。木箱の鳥かごが、三つくらいあった。
卵から雛を孵(かえ)したこともある。小さな摺鉢(すりばち)で、餌(え)を摺(す)り、小筆の先につけて、雛に与えたりして、哺育(ほいく)した。寒い時分には、電球を入れて、鳥かごを暖めた。当時の白熱球は、温度がかなり高くなるので、火事にならない工夫をすれば、そうした利用も可能だった。冷えないよう、夜には布を鳥かごに掛けてやった。
成長した小鳥は、私を親だと思うのか、実によく懐(なつ)いて、絶対に逃げない。窓を開けても、外には出ない。手乗り文鳥は、時折見かけるが、手だけでなく、頭にも、肩にも止まる。時には、唾液を欲しがって、キスまで要求する。
そうして可愛がっていた小鳥が、ある時、侵入した近所の野良猫によって、惨殺(ざんさつ)されてしまった。それが、猫嫌いになった理由である。嫌いどころではない、当初は、猫を仇(かたき)と思い、野良猫を見つけると、仇討(あだう)ちとばかり、長い棒で追い回したりもした。
もっとも、幼年時には、野良猫に対しても、「お猫ちゃん」などと呼び掛けて、撫でたりしていたらしい。だが、小鳥が惨殺されてからは、まったくの猫嫌いになった。「大日本猫撲滅隊隊長 多田一臣」などと、ノートに書き付けていたことも、何となく記憶の中にある。「大日本」云々は、あきらかに戦後の名残だろう。
惨殺の衝撃が大きかったためか、それ以来、小鳥は飼っていない。ただし、猫嫌いはいまも変わらない。これからも、猫好きにはならないと思うが、あれほど熱心に小鳥を飼っていた内田百閒が、大の猫好きだったのは、どうしてなのだろう。