火野正平が亡くなったと聞かされて、ずいぶんと驚いた。NHK BSの「にっぽん縦断 こころ旅」は、番組開始早々から、ずっと視聴し続けていた。今年の春先から休養が続いたが、体調が戻れば、必ず復帰するだろうと期待していた。坂道を回避して、走行距離も短くなるようなコースを選んだり、電動自転車に切り替えるなど、スタッフもできるかぎりの配慮をしていた様子がうかがえたから、まだしばらくはこの番組はなくならないだろうと思っていた。
その後の追悼記事で、火野には、妻が二人いることを知った。50年前に結婚し、いまは離別しているが、戸籍上はまだ夫婦関係にある妻と、40年以上同居している事実婚の妻の、二人の妻がいるという記事である。
この記事から、すぐに連想が及んだのが、標題にした殿山泰司である。殿山にもまた、火野と同様、二人の妻がいたからである。殿山はなかなかの女好きであり、何より稀代の名脇役であった。そこも、火野とよく似ている。殿山の遺骨は、戸籍上の妻と事実婚の妻とで分骨し、それぞれに墓があるという。火野の遺骨もそうなるのかもしれない。
もっとも、殿山の女好きは、殿山の『日本女地図』(光文社カッパ・ブックス)などで、広く知られてはいるものの、どうやら虚構も混じっているらしい。
火野が出演した映画やテレビ番組、とりわけ若い頃のものは、実のところほとんど見ていない。一方、殿山の映画やテレビ番組は、ずいぶんと見ている。殿山の存在を最初に意識したのは、1964年のNHKの連続テレビドラマ「馬六先生人生日記」である。殿山はこれに脇役としてずっと出演していた。ところが、どんな役どころであったのかが、まったく思い出せない。頭の禿げたあの風貌だから、坊さんの役だったのかもしれないが、もはや曖昧模糊とした記憶でしかない。あるいは頑固一徹の医者だったか。
殿山が出演した映画は数多く見ているが、ATGなどのいわゆる文芸映画が中心である。今村昌平、今井正、大島渚、新藤兼人などが制作した映画には、殿山の姿が必ずあった。ほとんどが脇役だが、どんなに短い場面の出演でも、忘れ難い印象を残すのだから、いくら本人が「三文役者」を自称してはいても、名優であることは間違いない。
殿山の実家が、日本橋のおでん屋「お多幸」であることは、よく知られているが、この店には、実は行ったことがない。もっとも、新宿の支店は、これもかなりの昔、時折通うことがあった。紀伊國屋書店の裏手の路地にあった店で、調べてみるといまも営業しているらしい。「とうめし」(おでんの豆腐を、おでんの汁を掛けた御飯に載せたもの)で知られた店である。
殿山は、なかなかの教養人であり、読書家でもあった。とりわけミステリーの世界には、造詣が深かった。ジャズ通でもあった。殿山自身も、『三文役者あなあきい伝』(ちくま文庫)などのエッセイを数多く残している。初の海外旅行でアメリカに行き、ヘンリー・ミラーにインタビューした記事もどこかにあったように思う。
殿山について、その人物像を、その死にいたるまで詳細に記したのが、近代映画協会設立以来の盟友ともいうべき新藤兼人の『三文役者の死―正伝殿山泰司』(岩波現代文庫)で、これは名著といえる。とりわけ「裸の島」制作前後の様子がよくわかる。役者と監督の、脚本についての、それぞれの立場でのやりとりもどこかにあって、これもなかなか興味深かった。
火野正平の訃報から、殿山泰司のことが思い浮かんだので、殿山について書いてみた。殿山のエッセイ、新藤兼人の評伝は、信濃追分の山荘に置いてあるので、いまは確認しないままで書いている。だから、誤りもあるかもしれない。