少し前のブログ「PayPayとは?」で書いたことの繰り返しに近い。
いま、あちこちで「映(ば)え」という言葉を耳にする。動詞だと「映(ば)える」になる。「インスタ映(ば)え(が)する」などと言ったりもする。スマホで写した写真を、SNSなどに投稿する際の基準が、「映(ば)える」かどうかにあるらしい。
しかし、実に汚い言葉である。そう感じる理由は明らかで、バ行で始まる言葉は、和語の世界(漢語の世界ではないことに注意)では、汚い言葉と決まっているからである。だから、本来なら「映(ば)える」ではなく、「映(は)える」でなければならない。もっとも連濁はあるから、「写真映えがいい」の「映え」は「映(ば)え」になる。「インスタ映(ば)え(が)する」なら、日本語としておかしくはない。
問題は、しかし、その「インスタ映(ば)え」のようなところから、「映(ば)え」が自立して、若者言葉として使われるようになったことである。「映(ば)える」などと聞くと、私などは不快な感じしか覚えないが、若者たちは違うのだろう。
バ行で始まる新しい若者言葉には、「バズる」などというのもあるが、あれはもともと英語のbuzz(人ががやがや言う意)に起源があるから、「映(ば)え」ほどは気にならない。
ずいぶん大昔、女優の前田美波里(まえだ・びばり)の名を初めて耳にした時、なんて汚い名を付けるのだと、驚いたことを思い出す。文字を見て、「みはり」ではないのかと疑いをもったほどである。もっとも、前田美波里の場合は、外国名との関係もあるらしいから、本人には格別の違和感はなかったのだろう。
「映(ば)え」もまた、日本語の変質の一例には違いないが、やはり私は付いていけない。