雑感

『源氏物語絵巻』の薫の絵

投稿日:

WEB配信の講座、JPカルチャー・オンラインで、新たに『古事記』の講義を収録中であることは、前に書いた。
いま、ヤマトタケルの熊曾建(くまそたける)討伐譚のところを準備していて、驚いたことがあるので、それについて記しておく。

そこには、ヤトタケルが美少女に紛う姿になって、熊曾建の新築祝いの席上に潜り込む場面がある。そこで、私は、次のような説明を講義資料の原稿に記した。

少年の英雄、――たとえば、弁慶に立ち向かう牛若丸のように――すべて美少年として描かれるとする説明もあるが、私は、基本的に身分が高ければ高いほど、その理想型は女の姿に近づくものと考えている。『源氏物語絵巻』が典型だが、いわゆる「引き目鉤鼻(かぎはな)」の技法、顔を斜め正面にふっくらと描くありかたは、きわめて類型的である。しかも、髪や髭を除けば、男女はほぼ同一の顔になる。このことは、高貴な貴族の理想型が、男女共通であること、さらにいえば、女の姿に近づくことを意味しているのではないか。

以上は、ヤマトタケルの暴力性といかにも対蹠的(たいせきてき)な、その美しさの説明になるのだが、その際、講義では、『源氏物語絵巻』柏木(三)の画像を例示しようと思った。光源氏が、不義の子薫を抱いている場面である。それで、いまの研究状況を調べようと、安易ではあるが、Yahooの記事をあれこれ検索してみた。すると、啞然とするような記事に出会った。「日本経済新聞」2015年11月13日の記事である。その見出しには「源氏物語絵巻に下描きの跡 徳川美術館、修復時に赤外線で」とある。

この記事の要点は、所蔵者である徳川美術館が、この絵巻の保存・修復作業で、この柏木(三)を赤外線撮影したところ、本画の下に下描きの絵が見つかったとする内容で、「本画と下描きの絵では薫の手の描き方が異なる。下描きには薫が源氏に向かって両腕を伸ばす下描き線が描かれているが、本画では薫の両腕は衣の中にある」とする説明も記事中に見える。その上で、「完成した本画が当初の構図と違っていたことの意味は大きい。当時の絵師が源氏物語の解釈を絵巻にどう表現し、どのように制作していったかが分かる糸口になるかもしれない」とする、美術館の学芸部長の談話も付け加えている。

これは、どう見ても、徳川美術館が、新たな発見をしたかのように、読者に思わせる記事である。だが、こんなことは、半世紀以上も前から、明らかにされている。一般読者向けの本ではあるが、1968年刊の秋山光和(あきやま・てるかず)氏の『王朝絵画の誕生』(中公新書)には、そのX線写真も含めて、この制作過程の変更が、画家(絵師)のどのような物語理解によったのかについての詳しい推察も収められている。
私が知っているくらいだから、この薫の描き方の変更は、『源氏物語』の研究者なら、誰もがわかっている事実のはずである。

ならば、あたかもその変更を新発見であるかのように取り上げた「日本経済新聞」の記事はやはりおかしい。もっとも、「新発見」と書いてあるわけではない。しかし、見出しも含め、読者にそう思わせるような微妙な書き方になっていて、そこがいかにも狡猾である。もし、記者が秋山氏の本を知らないのだとすれば、さらに問題ではあるのだが。

2015年の記事だから、いまさらな批判になるのだが、この新聞記事の近くに置かれたYahooの記事を見ると、これを新たな発見と思い込んでいるものもあったりする。つまり、この記事が一人歩きを始めている。このありようは、以前のブログ「甘納豆入りの赤飯」に書いた、農水省のHPの記事と同様である。そんなこともあるので、あえてこの一文を草したような次第である。これは、雑感に入れる。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.