先のブログで、二股らぢうむ温泉のことを書いた。宿泊客が、予想とは違ってずいぶんと少なく、民宿並みだとも記した。
宿泊客が少ないのは、過去の経営問題も関係するらしいのだが、それとともに、交通の便がきわめて悪いことも影響しているように思われる。長万部から先の函館本線は、運行本数が一日数本程度の、本線とは名ばかりの、まったくの地方路線であり、新幹線の札幌延伸によって、廃線となるのは、ほぼ確定的であるらしい。二股駅が最寄り駅だとはいっても、この駅を利用する宿泊客など、まずいないに違いない。
北海道の鉄道路線は、この函館本線と同じく、ごくわずかな例外を除いて、乗客数がきわめて少なく、どの路線も大赤字だという。周遊券を利用して、国鉄路線を乗り回っていた大昔は、北海道全体に路線網が張りめぐらされていた。ところが、いまや惨憺たるありさまである。なぜ、そうなったのか。一言でいえば、過疎化の急激な進行が原因だろう。
ただし、過疎化は、北海道だけの問題ではない。全国至るところに及んでいる。例外は、東京圏のみ。
その東京圏への一極集中なのだが、淵源をたどれば、明治維新にまで行き着くかもしれない。もっとも、東京以前の江戸も、人口100万人を超える、世界一の大都市だったから、一極集中はすでにそこから始まっていたともいえる。ただし、明治維新までは、大名の藩ごとに、その生活圏はそれぞれに自立していたから、それなりの地方分権が成立していたともいえる。それが少しずつ崩れ始め、ここ数十年の間で、過疎化はいよいよ決定的になった。なぜドイツのような、地方分権を前提とするような国家を形成することができなかったのか。首都であるベルリンの人口は、いまも350万人ほどに過ぎない。地域ごとの中小都市はそれなりに健全である。フランスも同じである。パリの人口も200万人ほどだろう。東京の人口は1400万人を超えるから、あきらかに異常である。
一極集中がいかに問題であるのかは、大地震などで、東京が壊滅状態に陥った時のことを想像すればすぐにわかるはずだが、人は目先の利害しか考えないから、いまさらながらの地方分権など、夢のまた夢であろう。
いま、全国至るところで、野生のクマが人の生活圏に侵入し始めている。少し前まで、こんなことはなかった。動物愛護団体は、人の生活圏の拡大が、クマの生活領域を浸食したためだと主張するが、この見方は、半分は正しく、半分は誤っている。
人の生活圏の拡大が、クマの生活領域を奪ったことは確かであろう。だが、それは、過疎化以前のことである。そこではまだ、人の生活圏には、活発な人の活動があった。ところが、過疎化が進むと、そこでの活動は激減する。人も住まなくなる。それゆえ、そこにクマが現れるのである。昨今のクマの被害や目撃状況の増加は、あきらかに過疎化の影響であるに違いない。
さて、東京圏への一極集中は、今後どうなるのか。大地震などで東京が壊滅するまで、その状態は加速していくに違いない。もっとも、先の東京都知事選挙で、そうした問題を争点の一つとして取り上げた石丸伸二が、若い世代の支持を得て、次点となったことは、ひょっとすると僅かな希望が持てる萌(きざ)しなのかもしれない。