前のブログ「ゴルバチョフの死」で、書き残したことがあったので、以下に記す。
東ドイツ(ドイツ民主共和国)が誕生したのは、1949年10月のことである。
1989年10月、その建国40周年を祝うオペラが、ドレスデンのゼンパー・オパーで上演された。驚くべきは、その演目である。ベートーヴェンの「フィデリオ」である。
「フィデリオ」は、政治的抑圧からの解放を正面から取り上げる。さらに、自由にこそ最高の価値があることを、高らかに宣言する。フィデリオ(レオノーレ、政敵によって不法に投獄されているらしい夫を救うため、男装してフィデリオと名を変え、牢番の助手になっている)の進言で、閉じ込められていた暗い牢獄から、つかの間の解放を許されて、日の光を浴びることができた囚人たち(彼らも政治犯だろう)が歌う合唱は、自由の尊さを、聴き手につよく訴えかける。
囚人たちは、あたかも壁に取り囲まれた、当時の東ドイツの国民さながらである。それゆえ、なぜこのオペラが、建国40周年を祝う演目とされたのかが、実に不思議である。東ドイツの公安当局も、ベートーヴェンという巨大な存在を、真っ向から否定することは、できなかったのかもしれない。
ベルリンの壁が崩壊するのは、それからわずか五週間後のことになる。ならば、この「フィデリオ」の上演は、その先取りの意味をもつ。
1989年12月25日、ベルリンのシャウ・シュピール・ハウス(旧東ベルリンに所在、現在の名はコンツェルト・ハウス)で、ベルリンの壁崩壊を記念するコンサートが催された。曲目は、ベートーヴェンの「第九」。
指揮は、レナード・バーンスタイン。演奏は、バイエルン放送交響楽団だが、戦後のベルリンを統治した国々のオーケストラの団員も、数名ずつだが、臨時に加わっている。合唱にも、児童たちが参加している。
終楽章の歌詞の一部が、バーンスタインのアイディアで、変えられている。Freude(歓喜)をFreiheit(自由)に改めている。なるほど、それによって、この公演のねらいがどこにあるのかが、聴き手につよく伝わる。ドレスデンで「フィデリオ」が上演されたことと、同じである。
以上の二つは、音楽史の上に特記される重要な公演であるに違いないから、ご存じの向きも少なくないかと思う。
ゴルバチョフの死、そして彼が果たした役割を、ウクライナ情勢と引きくらべつつ、いまこそ振り返る必要があるように思う。浮かび上がるのは、自由の大切さである。それを考える寄(よ)す処(が)の一つとして、この二つの公演について記してみた。