土用の時期でもないのに鰻(うなぎ)の話である。
鰻は大好物だが、値も張るので、始終食べるわけにはいかない。
もっとも、昨今は、牛丼店などで安価に提供するところも増えているから、贅沢品とは言えなくなっているのかもしれない。
だが、鰻はもともと高直(こうじき)であり、庶民が安直(あんちょく)に食べられるようなものではなかった。
大河内俊輝『繚乱の花』という本がある。ずいぶん昔の本である。宝生流の家元継承騒動を描いたところが中心になるが、そこが実におもしろい。本命の松本長(まつもと・ながし、泉鏡花の従兄)でなく、なぜ宝生重英(ほうしょう・しげふさ、十七世宝生九郎)が宗家を継ぐことになったのかを、推理小説もどきに謎解きしている。
その中に、家元を継いだばかりの重英が、楽屋で鰻弁当を取り寄せて食べる場面がある。能評家の坂元雪鳥(さかもと・せっちょう)が、それに噛み付いて、「芸の器量がずっと上の高弟たちが、楽屋弁当を甘んじて食べているのに、たまたま家元になった重英が、その地位を誇示するかのように、ただ一人鰻弁当を食べるなどけしからん」と言ったことが紹介されている。大正6年頃のことである。
当時の鰻弁当がいかに高価な贅沢品であったかが、ここからわかる。
鰻は落語にもよく取り上げられる。「鰻の幇間(たいこ)」「素人鰻(しろうとうなぎ、「士族の鰻」とも)」「後生鰻(ごしょううなぎ)」などがすぐに思い浮かぶ。
「鰻の幇間」の主人公一八(いっぱち)は、野幇間(のだいこ)に近いのかもしれないが、やっとつかまえた客に、鰻を御馳走になったつもりでいたら、反対にすっかり騙(だま)され、勘定の負担はおろか、新調したばかりの上等な下駄まで履き逃げされてしまう。廓噺(くるわばなし)には三大悪人というのがいるらしいが、この客もなかなかの悪(わる)である。八代目桂文楽が演じたのが、やはり絶品だと思う。
「鰻の幇間」でも、主人公の一八は、鰻には久しくお目に掛かっていないと言っている。鰻はやはり、めったに食べられるようなものではなかった。
三代目三遊亭金馬が得意としていた噺に「藪入(やぶい)り」がある。昔の住み込みの奉公人は、盆と正月の一六日にしか、宿下がりが許されなかった。それを藪入りといった。小さな子を奉公に出して三年目、やっと宿下がりが許され、家に戻って来るわが子を迎える、その父親の過剰ともいえる子への思いを描いた噺である。
そこに、子どもが戻って来たら、何を食べさせようかと、父親が夢中になって思案する場面がある。その筆頭に、やはり鰻が上がっている。
鰻はここでも御馳走の最たるものであり、特別な日に食べるものだった。
鰻は、はるか遠くの海まで行って産卵し、その稚魚が故郷の河川に戻って生育するという。どういう本能によるのか、不思議でもあり、実に気の遠くなるような話である。
ニホンウナギは、いまや絶滅危惧種に指定されているようだが、その産卵場所は、マリアナ海溝あたりらしい。昔、東京大学海洋研究所の研究船「白鳳丸(はくほうまる)」が、その調査の航海に出たことがあり、そこに乗船していた文学部の某先生から、その話を聞いた覚えがある。
台湾や中国が、鰻の稚魚を乱獲し、それを養殖したものが、牛丼店などの鰻に姿を変えているという。もしそうなら、鰻を安価に提供するのは、間違っていると思う。
鰻はやはり贅沢なもの、特別な日に食べるものでなければならない。
落語「藪入り」について、さらに一言。奉公に出した子に、父親が過剰な思いを抱くのには、理由がある。この子は、父親の前妻の子であり、いまの母親は継母だからである。継母との折り合いが悪くなったために、その子は奉公に出されることになった。
金馬は、そうした事情をまったく語ることなく、しかし、父親と母親(継母)の立場の違いを、そのやりとりを通じて、実に見事に演じ分けている。そこが素晴らしいと思う。