雑感

小心者

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この夜半、激しい雨音に目覚め、そのまま眠られぬ一夜を過ごした。
被害が心配になったからである。

台風二号が梅雨前線を刺激し、浸水や土砂災害の被害を各地にもたらしているという。いまもまだ雨が上がらないから、被害の全容はこれから明らかになるのだろう。
梅雨前線と記したが、東京あたりはまだ梅雨入り以前である。梅雨末期の豪雨は以前もあったが、こんな時期に台風がやってきて、こうした被害をもたらすことなど、ついぞ聞いたことがない。あきらかに昨今の異常気象の現れだろう。

眠られぬ一夜を過ごしたなど、小心者のありようには違いないが、理由がないわけではない。いまの世田谷の家に住み始めて七十年以上になるが、一度だけ床上浸水の被害にあったことがある。昭和33年(1958)9月、狩野川台風(台風22号)の襲来時である。

狩野川台風は、伊豆半島から、関東地方に甚大な被害をもたらした。狩野川流域の被害が大きかったので、この名がある。調べてみると、中心の最低気圧は877hPaで、当時の最低気圧の世界記録であったという。死者・行方不明者は1269名とあるから、やはり途轍(とてつ)もなく巨大な台風であったことになる。

当時、私は小学校四年生だったが、わが家の窓の下にどんどんと押し寄せる濁流のさまを、はっきりと覚えている。ついには、床上浸水となったのだが、その痕跡は、ずいぶん後まで壁に残っていた。床から5~60㎝のところに、線がくっきりと印されていた。世田谷区から、毛布の支給があったことも記憶している。

以上のあらましは、以前のブログ「台風の進路予測」にも記した。
わが家のあるあたりは、三方を高台に囲まれた低地なので、大雨が降ると、水の流れ出る先は、一方しかない。当時は、小さな川が裏手にあり、それがしばしば溢水(いっすい)した。
ずいぶん経って、下水道が整備されてからは、そうした被害を免(まぬが)れている。小さな川もすべて暗渠(あんきょ)となり、下水道の一部になっている。
当時、その川に架かっていた橋に「古事記橋」というのがあった。子どもの頃は、これを「乞食橋」だと思い、お菰(こも)さんがその橋で物乞いするので、そう名づけたのだと信じていた。どういう来歴があったのか、いまになって興味を覚える。

そうして下水道は整備されたものの、この数年の異常気象は、どう見ても常軌を逸している。雨の降り方が、尋常ではない。
ハザード・マップを見ると、わが家のあたりは、浸水の深さ1~2㍍になっている。浸水の危険は、いまなおあるということだろう。

狩野川台風から、すでに六十年以上が経過している。「災害は忘れた頃にやって来る」という警句もある。それで、台風が発生すると、その進路がすぐに気になる。そのことも、以前のブログに書いた。

今回の台風2号は、発生当初から、その動きがずいぶんとおかしい。過去のこの時期の台風なら、こんな経路はたどらない。
それで、夜半、激しい雨音に目を覚まして、眠られぬ一夜を過ごしたような次第である。小心者のありようには違いないが、床上浸水の体験は、二度と御免である。

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