今朝の朝日新聞の「天声人語」を見て、驚いた。奈良県御所(ごせ)市の一言主(ひとことぬし)神社の名が出て来たからである。「天声人語」によれば、この神社には、「一言の願いなら何でもかなう」という言い伝えがあり、それにちなんだ「はがきの名文コンクール」が、毎年開かれているという。
地元に根づいたせっかくの行事に、あれこれ言うのは気が引けるが、この神名の解釈が、いったいどこから生じたのかが、ひどく気になった。
もともと、葛城山麓(かつらぎさんろく)には、託宣をもっぱらとする神が多く祀られていた。その代表格は、事代主神(ことしろぬしのかみ)である。『延喜式』には、この神を祀る神社が、「鴨都味波八重事代主命神社(かもつみはやえことしろぬしのみことじんじゃ)」として出てくる。いまも御所市に、鴨都波神社(かもつばじんじゃ)として鎮座する。事代(ことしろ)とは言代(ことしろ)に等しく、代言神、託宣神としての機能がここに明示されている。
一言主神(ひとことぬしのかみ)もまた、そうした託宣神にほかならない。『古事記』「雄略記」に、その託宣神としてのありかたが示されている。
狩りのため、葛城山を訪れた雄略天皇の前に、一言主神が出現し、次のように名告る。
吾(あ)は悪事(まがこと)も一言(ひとこと)、善事(よごと)も一言、言(い)ひ離(はな)つ神、葛城(かづらき)の一言主大神(ひとことぬしのおほかみ)ぞ。
本居宣長(もとおり・のりなが)の『古事記伝』は、「言ひ離(はな)つ神(原文「言離神」)」としたところをコトサカノカミと訓じた上で、「凶事(まがこと)にても吉事(よごと)にても、此(こ)の神の一言(ひとこと)にて解放離(とけさか)る意」と説明している。つまり、一言で物事を解決しうる神の意と解している。現在も、この宣長の訓みや理解に従う向きが少なくない。
だが、それは誤っている。柳田國男が説いているように、この神は、祈願者のため、吉凶を簡単な一言の言葉をもって判断する呪言神(柳田國男「一言主考」『定本 柳田國男集』第九巻)であったと解されなければならない。吉凶を一言で判断するとは、もともとは天候、気象、そのほか農事にかかわり深い事象を、神意として一言の言葉で託宣することであっただろう。その独自な託宣のありかたが、この特異な神名となった。このように考えるべきだろう。
かつては、地元では、この神は「一言(いちごん)さん」と呼ばれていたという。それもまた託宣神としての名であろう。それが、どこから「一言の願いなら何でもかなう」とする御利益の神になったのか。実に不思議である。
信仰の態様が変われば、神のありかたも変わる。だから、それはそれでよいのかもしれない。冒頭に「気が引ける」と書いたのは、それゆえでもある。地元がそれで納得していれば、外からとやかく言う必要はないのだろう。
これに類似したことを、以前、京都の清水寺の地主権現(じしゅごんげん)でも感じた。明治の神仏分離令以前は、清水寺に属し、その地主神だった神である。古くから、「地主の桜」でも知られた神社である。
私が最初に訪れた頃は、隣の清水寺の賑わいに引きくらべ、人気(ひとけ)のあまりない、静かな神社だった。いまや、狭い境内に、若い男女が大勢集まっていて、その変貌ぶりに驚く。聞けば、恋の成就を約束させる御利益があるのだという。地主神のどこから、そうした御利益が生まれるのか、私にはよくわからない。
しかし、これもご時世。外部の人間がとやかく言うことではないのだろう。神社をどうやって維持するのかという、大きな問題もあるのかもしれない。
最後に余計なことを。「天声人語」など、めったに読まないのだが、あらためて、とんでもない標題だと思う。皮肉屋の目からすると、こんな大それた看板を掲げて、よく文章が書けるものだと感心する。「天に声あり、人をして語らしむ」という、漢籍に由来する言葉だというが、それも典拠不明らしい。