雑感

「目白」のアクセント

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先日、大塚に行くため、新宿から山手線に乗った。高田馬場駅で、ホームの案内放送が聞こえた。「次は目白です」という案内なのだが、「目白」の高低のアクセントがおかしい。「目白」は、メが高く、ジロが低いはずだが、それが反対になっている。高いところを太字で示すと、メジロのように発音している。これは、昨今の若者言葉に特有のアクセント、いわゆる平板式アクセントそのままである。

最初の一拍目だけが低く、それ以降の拍を高く平坦に続けるのが平板式アクセントだが、まさにその平板式アクセントで発音している。モバイルのメッセンジャーアプリのLINEは、もともとは英語を意識した命名のはずで、英語流の発音なら、一拍目にアクセントがなければならない。だが、いまや誰もが平板式アクセントでラインと発音している。高田馬場駅の案内放送の「目白」も、これと同じ現象なのかもしれない。

ただし、「目白」の場合は、なお考えるべきところがある。鳥のメジロは、平板式アクセントと同様に発音されるからである。ただし、駅名の「目白」は、地名に由来し、鳥の名とは無関係である。

「目白」の地名の由来は、諸説あるらしいが、目白不動と結びつける説が古くからある。その目白不動の発音は、メジロフドウで、メジロのジロが高く、フドウはフが高い。不動と結合したためではあるが、ここでの目白は、平板式アクセントと一致する。鳥の目白と同じである。「なお考えるべきところがある」と記したのは、それゆえである。
だが、地名の「目白」は、単独ならジロであろう。高田馬場駅の案内放送は、やはりおかしい。

アクセントが本来とは違っているにもかかわらず、そのまま通用している駅名もある。中央線の市ヶ谷駅である。市ヶ谷駅の駅名も、地名に由来するが、いまは二拍目にアクセントを置いて、イガヤと発音されている。
だが、一拍目にアクセントを置くチガヤが、本来であるらしい。そのことを、八代目林家正蔵の噺(はなし)に出て来る「市ヶ谷の首くくりの松」(正蔵は、「蛸坊主」の枕で、それを取り上げていた)で知った。私は、正蔵の噺には全幅の信頼を置いているから、市ヶ谷の本来の発音も、それで間違いないと思う。
なお、「首くくりの松」だが、漱石の「吾輩は猫である」(二)にも、迷亭の話の中に、(市ヶ谷)土手三番町の「首懸(くびかけ)の松」として出て来る。

アクセントではないが、山手線には、おかしな発音の駅名がまだある。先の高田馬場だが、その読みはタカダノババではなく、タカタノババが本来である。秋葉原も、アキハバラではなく、アキバハラあるいはアキバッパラが正しい。江戸の「原」の読みは、小塚原(コヅカハラ、コヅカッパラ)がそうであるように、ハラとパラしかなく、バラはありえない。秋葉原の地名は、明治以降になってからのようだが、秋葉(あきば)神社に由来するから、アキハの読みはそもそもおかしい。秋葉原を省略して、アキバと呼ぶことがあるが、こちらはむしろ理に適っている。

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