雑感

鬼畜米英

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小山聡子さんから、『鬼と日本人の歴史』(ちくまプリマリー新書)を頂戴した。
鬼という存在に視点を置くことで、古代から近代までの日本人の心性のありようを歴史的にたどった、小さいけれど、なかなか読み応えのある本だった。

この本の最後のあたりで、戦時中のスローガンとして唱えられた「鬼畜米英」が取り上げられている。敵国であるアメリカやイギリスの残虐性を鬼畜に見立てた標語だが、一方で、鬼退治をする桃太郎が、正義の味方として、プロパガンダ映画(『桃太郎の海鷲』など)の主人公とされた例なども紹介されている。

ここを読んでいるうちに、私などにも「鬼畜米英」の名残が及んでいたことに思い当たった。
私の小学生時代は、昭和30年代前半、戦後しばらく経ってからのことになるが、下校後は、日が暮れるまで、外で友だちと遊ぶのがふつうだった。車の通行もほとんどなかったから、道路で三角ベースもしたし、蠟石(ろうせき)で大きくS字を書いてSケンなどもした。

そこで頭に浮かんだのが、「水雷艦長」である。これは、近くの不動尊(「お不動さん」と呼んでいた)の境内でやっていたように思う。「水雷艦長」は、この遊びの一般的な名称とされるが、その名前は使わなかった。

その「水雷艦長」だが、以下のような遊びである。草野のりかず『ぼくらの三角ベース』(平凡社)を参考に述べれば、二つに分かれたグループに、それぞれ、「艦長」(一人)「駆逐艦」(複数)「水雷」(複数)がいる。この役割は、いわゆる三すくみの関係にあり、「艦長」は「駆逐艦」に勝ち、「駆逐艦」は「水雷」に勝ち、「水雷」は「艦長」に勝つ。鬼ごっこのような要領になるのだが、「水雷」が相手の「艦長」を捕まえれば、終了になる。
草野氏の本によれば、それぞれの役割を明示するために、野球帽を「艦長」は真っ直ぐに、「駆逐艦」は横に、「水雷」は後ろ向きに被(かぶ)る、というのだが、野球帽をそうやって被った記憶がなぜかない。だから、どうやって役割を区別していたのか、そこはわからない。

その役割の名も、「水雷」以外は、違っていた。まず「艦長」だが、「戦艦」と呼んでいたように思う。あるいは「大将」であったかもしれない。問題は「駆逐艦」である。これをなぜか、キチクと呼んでいた。「駆逐」の訛りには違いないが、そんなことは当時はわからなかった。いうまでもなく、このキチクこそ「鬼畜米英」の「鬼畜」にほかならない。
それで、私たちは、この遊びを、「水雷艦長」ではなく、「キチク水雷」と呼んでいた。「キチク水雷をやろう」などと言って、遊んでいた。

戦時中の言葉の記憶、「鬼畜米英」の記憶が、戦後しばらく経ってからも、こうして私たちの世代にも引き継がれていたことになる。

「鬼畜米英」ではないが、類似のことがまだある。これは「軍艦じゃんけん」と呼ばれる遊びである。ごくふつうのグー、チョキ、パーなのだが、「軍艦」「沈没」「ハワイ」と、かけ声を出して、じゃんけんをした。たとえば、「軍艦、軍艦、ハワイ」「ハワイ、沈没、軍艦」のようなかけ声にあわせて、パーとかグーを出す。このかけ声のもとは、あきらかに真珠湾攻撃だろう。むろん、当時の私たちは、そんなことは思いもしなかった。

「軍艦じゃんけん」は、調べてみると、「沈没」を「朝鮮」、「ハワイ」を「破裂」とする例もあるらしい。「朝鮮」には、あるいは朝鮮戦争の影が及んでいるのかもしれない。しかし、「破裂」とは、何だろう。

子どもの遊びではあるが、戦争の影が、こうして及んでいることを思うと、何だか恐ろしくもある。小山さんの本を読んでいるうちに、そんなことに思い当たった。それにしても、いまや、子どもたちが、外で遊ぶことがまったくなくなってしまった。それも、問題だと思うのだが、そうした感想もまた、「昔はよかった」の口として、若い世代からは忌避されるのだろうか。

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