人の好悪を、第一印象で決めてよいかどうか、なかなか難しい問題である。「人は見た目」ということになるのだろうが、第一印象はほぼ信頼すべきだ、と仰った某先生の言葉は、いまも心につよく残っている。
私もまた、某先生に近いのかもしれない。もっとも、学生に対して、好悪を直感で決めることは、できるかぎり避けようと意識はしていたが、某先生のように、第一印象はさほど誤ってはいないというのも、案外とあたっているように思う。
まったく付き合いのない、歌手やテレビタレントになると、私の場合、もっと容赦がない。第一印象で、完全に好悪を決めている。そのあたりは、実に頑固である。
たとえば、武田鉄矢。もともと、ああいう音楽は認めないのだが、明治維新を否定的に捉える立場からすると、坂本龍馬も嫌いだから、そのグループ「海援隊」の名に、まず反感を覚えた。さらに、最初期のヒット作「母に捧げるバラード」、とりわけそのセリフを聞いて、憎悪の感情が一層沸き立った。東京に出て来た主人公が、故郷の母に思いを訴える内容の歌だが、そのセリフが博多弁丸出し。慣れ親しんだ東京の世界に、よそ者が遠慮会釈もなく、土足のまま踏み込んで来たように感じた。
私とても、生まれは北海道だから(といっても、当歳で東京に来ている)、よそ者であるには違いない。東京もまたよそ者の集まった町だから、もともとの江戸っ子など、ごくわずかでしかない。ただ、当初のよそ者たちは、誰もが慎み深く、そこに作り上げられた東京の世界――その一部には江戸以来の文化伝統を残すが――そうした世界を大切にしていた。そこに、博多弁そのもののセリフが、いまある東京の世界を、まるで蔑(ないがし)ろにするかのように侵入して来たのだから、私には憎悪の思いしか起こらなかった。
あの歌がヒット作になったのは、東京の中にも、そのセリフに共感を覚える人々が増えたことを意味するのだろうが、私にはそれが許せなかった。だから、武田鉄矢は、その後、一切無視するようになった。
ここで思うのだが、私の抱いたこのような憎悪の思いは、多様性を尊重すべきだとするこの時代にあっては、時代錯誤との批判を免れないのかもしれない。さらにいえば、移民社会の問題とも、どこかで通底するところがあるのかもしれない。ただ、長い年月をかけて作られた世界、それを支える文化伝統を、やはり大切にしたい。その意味では、私は、完全な保守派である。
もう一人、例を挙げよう。西田敏行である。これも、西田がテレビに出始めた頃の印象である。西田が、加山雄三と同席した番組があった。その時の、西田の加山に対する異常なまでの平身低頭ぶり、阿諛(あゆ)追従(ついしょう)の姿勢が呆れかえるほどで、それですっかり西田が厭になった。
当時、加山は人気絶頂の頃だったが、私にとっては、加山などどうでもよい存在だった。その加山に、極端なまでに阿諛追従の態度を示すのは、西田にとっては自然であっても、私にとってはきわめて不愉快に感じられた。なぜ、加山にこれほどまでに遜(へりくだ)るのか。見ている側にとって、きわめて無礼な態度ではないかと思った。そこから、西田を嫌悪するようになった。だから、西田が出る番組は、それ以後まったく見ていない。
歌手やテレビタレントではないが、井上ひさしの作を読まないのも、これに近いかもしれない。
大昔、NHKテレビで、「ひょっこりひょうたん島」という人形劇が、夕方に放映されていた。当時の人気番組だったはずである。その脚本を書いていたのが、井上ひさしである。ところが、時折、腹の立つことがあった。落語の素材を下手に流用した箇所が時々現れたからである。落語好きからすると、そこが実に安易で、不愉快だった。それが、井上を嫌いになった始めである。
その後、しばらくして、たまたま家にあった『ブンとフン』を読んでみた。井上の小説家としてのデビュー作である。ところが、その愚劣な内容にすっかり呆れ果てた。それ以来、盛名は耳にしても、井上の作は、一切読んでいない。舞台も見ていない。
作家といえば、第一印象にはあてはまらないが、太宰治や村上春樹はまったく好きになれない。その小説の世界に入り込めないからである。若い頃、あれほど心酔した大江健三郎も、どこかで読む気がすっかり失せてしまった。これらを公言すると、それはわかると言ってくれる人もいたりするから(その中には太宰や村上の研究者もいる)、私のそうした悪感情は、必ずしも偏頗(へんぱ)なものではないのかもしれない。
それにしても、私は、好悪の感情、とりわけ第一印象に大きく左右される人間らしい。ただ、それを必ずしも悪いことだとは思っていない。居直りに近いが、もはや年齢も年齢である。だから、やはりこのままで行こうと思う。