しばらく前のことだが、ある寺院の経営する納骨堂が財政破綻し、そこが閉鎖された、という新聞記事を読んだ。
近年、納骨堂の宣伝をあちこちで見かける。骨壺をロッカー状の空間に安置し、遺族がお参りに訪れると、礼拝場所の正面に自動的に運んで来る。そんな仕掛けになっているらしい。そうした納骨堂は、どこも永代供養を看板にしている。
都会では、墓地を手に入れるのも大変だし、手に入ったとしても、途轍(とてつ)もない金額が必要になる。一方で、寺離れも進んでいるから、寺院の財政状況も次第に厳しくなりつつある。
寺院の経営する納骨堂が増えるのは、墓地を探す側にとっても、寺院の側にとっても、好都合だからなのだろう。
そこで、私のところだが、北海道の旭川市に墓がある。旭川市の外(はず)れ、神居(かむい)墓地の一角である。市営の墓地だが、古い来歴があるらしい。タクシーの運転手に、そう言われたことがある。
十数年前、父が亡くなって、骨壺を納めに行った。ところが、墓の入口を開けて驚いた。骨壺がたくさんあって、父の骨壺を入れる余地がない。祖父母や、未婚のまま亡くなった父の兄弟・姉妹の骨壺である。
思案に余って、石材店に相談した。すると、答えは簡単で、古い遺骨は、骨壺から出して、土に返せばいい、という。
「カロート(納骨室)の底は、土のままだから、そこに骨を撒(ま)けばいい。もし、抵抗があるなら、布の袋を用意する」といわれたので、そのようにしてもらった。
古い骨壺の中の骨は、もはや原型を留めておらず、ほとんど粉末状になっていた。それを袋に入れて、カロート(納骨室)の底に置いてもらった。袋もいずれ、腐ってしまうから、なるほど、骨もまた、そのまま土に返るのだと、納得した。
私に常識がなかっただけのことかもしれないが、骨は骨壺にいつまでも入れておくものではないことを、ここで学んだ。
そこで、思いあたったのが、納骨堂である。あのままでは、いつまで経っても、骨は土に返れそうもない。あるいは、永代供養を看板にしてはいても、年忌明けが済むあたりで、どこかにまとめて埋葬するのであろうか。なんだが、それも寂しい気がする。
東京に住む身としては、北海道に墓があるのは、あまりにも遠すぎる。子どもに迷惑も掛けたくないので、そろそろ墓じまいを考えないといけないのかもしれない。