雑感

日本 この愚民社会

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以下に記すのは、すでに「ヒトラー『わが闘争』」「全体主義国家・日本」「全体主義国家・日本・続」「民主主義の危機」「民主主義の危機・再論」、そして「ポピュリズムの時代」で述べて来たことの繰り返しである。端的に言えば、日本がまったくの愚民社会になってしまったことへの危惧にほかならない。

最近は、ずっと毎朝、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」を聴いている。森本は86歳。お相手を勤める遠藤泰子も82歳だという。森本は、一時、肺炎の悪化でしばらく休養したりしたから、この番組ももうお終いになるのかと思っていたら、無事に復活し、見事な頭の回転も以前とほとんど変わらない。遠藤の滑舌も明瞭で、衰えはまったく見られないから(若いアナウンサーは手本にすべきである)、頭の呆けを自覚し始めた私としては、驚くほかない。

この番組を好んで聴くのは、昨今の政治状況に対する、森本の発言のスタンスが、ほぼ私のそれに近いと思われるからである。公共の電波の上での発言ではあるが、それでも現在の高市某の愚劣な政治姿勢や、本来、それに抗すべきはずの野党の余りにも情けない実態に、批判的な見方を示しているようにも感じられる。無論、私のように、高市を愚劣と断じたり、先の総選挙で、その高市に大挙して票を投じた国民を、愚民と呼ぶようなことはないが、森本の発言は、つまるところはそこに落ち着くはずである。

もっとも、先のブログで記したように、立憲民主党が公明党と合体するなど、そうした馬鹿げた選択をしたことが、高市へ票を投じさせる要因になっていることも記しておく必要はあろう。創価学会を母胎とする公明党、民主集中制などという愚劣な制度を頑として譲らない共産党は、支持者の数にはっきりとした限界があり、それを超えることなど絶対にありえない。野党が再編を目指すなら、そこを第一に考えるべきだが、いまの野党の、とりわけ立憲民主党の、これも愚かな連中には、そうしたことすらわからないと見える。

とはいえ、問題は、やはり愚民たちの圧倒的な支持で生まれた高市が推し進める政策である。先日の放送でも取り上げていたが、まずは食料品の消費税の税率1%への削減案である。2027年の4月から2年間、税率を1%に引き下げ、その後現状に戻すというのだが、森本も危惧していたように、こんな馬鹿げた案が、さしたる異論もなく国会の場に付議されるようになるなど、およそ信じられない。
異論もなくと記したが、裏面では反対意見もあるにはあったと聞く。しかし、高市はことごとくそれを封じ込めた。自民党内部でも、先の総選挙で、高市人気にあやかって当選した、いわば高市チルドレンと呼ばれるような泡沫議員たちは、到底逆らうことはできないはずだし、もっとも懸念を大きく表明すべき財務省の官僚たちも、首相官邸に人事を握られている以上、正面切ってこれに反対することはできないのだろう。官僚の人事、課長級以上の人事を、内閣、実質的には首相官邸が管理できる悪弊を作り出したのは安倍内閣の時だが(後に首相になった、小心者としか言いようのない、それゆえ悪知恵だけには長けた菅某の企みだというが)、これによって日本の優秀な官僚がほぼ死に絶えるであろうことは、これもすでに以前のブログに記した(現実にも、優秀な東大生は官僚を志望しなくなった)。

食料品の消費税減税が、なぜ馬鹿げた案なのか。わかりきった話だが、その代替財源がないからである。赤字国債の乱発で、借金まみれのこの国の財政状況を見れば、こんな減税などできるはずがないことは、誰が見ても明らかである。消費税は、1989年の導入以来、税率は三度引き上げられ、いまや国税歳入の30%を占めるという(きちんと調べたわけではないが、“the japantimes alpha”に「Japan's consumption tax…now accounts for 30% of total national tax revenue, making it the nation's largest core tax category」とある)。消費税収入が、年々拡大する社会保障費の主要な財源になっているのは周知のとおり。食料品に限るとはいえ、この大幅な減税が実現されれば、社会補償費等への深刻な影響を及ぼす。現状においても、医療費の国民負担は増大されつつある。高市は、減税分は特別税制措置や補助金の見直しといった検討可能な措置で対応し、特例公債(赤字国債)に頼らないつもりだと表明してはいるが、具体性に乏しく、およそ信用できない。1%にした消費税は二年後に旧に復すつもりだと言ってはいるが、簡単に実現できるとは思えない。そもそも二年後に高市が首相のままなのかどうか、それさえわからないではないか。

もう一つ、先日の森本毅郎の放送を聴いて思ったことを記す。これも高市への批判になる。
8月6日は、広島の被爆の日だが、「朝刊読みくらべ」のところで、「朝日新聞」の特集記事が取り上げられていた。かつて広島の市長を長く勤め、現在98歳の平岡敬(ひらおか・たかし)のインタビュー記事である。タイトルに「国家とは何なのか 命と生活守る装置 忘れてはいまいか」とある。核兵器廃絶への動きが停滞していることへの懸念が記事の中心ではあるが、そこに現在の日本の政治への危惧が示されていること、さらにいえば高市が推し進める愚劣な政策の数々への批判的視点が示されていることが大きく目を引いた。
森本もそこに共感を示していたのだが、高市が強引に成立させた「国旗損壊処罰法」への疑問から、今後成立を図ろうとするスパイ防止法、さらには武器輸出の解禁や防衛費増額への懸念が示されている。「米国のいうままに分不相応な軍事力を持とうとしている」とも述べている。「非核三原則」の見直し(現実には「持ち込まず」のところは、すでに形骸化されているが)も、そこに重ねていいだろう。だから、この平岡が述べることには、ことごとく賛成である。まことに国家とは、一人一人の「命と生活を守る装置」であり、それ以上でも以下でもないからである。

これも以前のブログに記したことだが、日本は完全なアメリカの植民地となっている。それゆえ、すべてにおいて、アメリカには何も言えずにいる。同じ敗戦国のドイツもイタリアもこれほどまでに従属的ではない。高市は、安倍晋三の子分だから、その政治的な系譜をたどれば、アメリカ従属を肯定する元戦犯(不起訴にはなったが)岸信介に行き着く。そうした系譜を引くことが、愚劣かつ危険な政治姿勢を生むのであろうが、その高市を支持する者が、依然として多くいることに、唖然とせざるをえない。平岡敬氏は、「今、若い人たちが国会前でデモをしています。『高市やめろ』とね。…そこに希望も感じています」と述べていて、今後の若い世代の動向に期待を抱いているようだが、高市の支持層がそうした若い世代に多いことを思うと(私の周囲―ほぼ私と同世代になるが―には、誰一人として高市を支持する者はいない)、もっと悪くなっていくように思う。標題を「日本 この愚民社会」としたのは、それゆえでもある。これもどこかに書いたが、私など、いずれ(長生きすればだが)、「非国民」と呼ばれる日が来るのかもしれない。「国旗損壊処罰法」など、高市などが思い描く「国家」への「忠誠心」、つまりは「愛国心」を測る試験紙としての役割があるに違いないからである。

ここに記したことが「上から目線」であることは、充分承知している。異論・反論にはいつでも応じる。ただし、匿名は絶対に認めない。発言には責任を伴うからである。このことは「筆者紹介」にも記してある。

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