研究

舟棚(ふなだな)

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先週、高岡市万葉歴史館から「高岡市万葉歴史館紀要」第三十六号が送られて来た。昨年「折口信夫と万葉集」というテーマで開催された、高岡万葉セミナーの講演の記録が収載されている。
その記録の一つに、万葉歴史館館長・藤原茂樹氏の「万葉集と折口信夫―折口万葉集講義(巻十七未公開記録)の見識を中心に―」と題する論がある。私も講演者の一人だったので、藤原氏の講演を直(じか)に拝聴したのだが、その中で、とくに印象に残ったのが、標題とした「舟棚(ふなだな)」の問題であった。今回、その記録を読んで、改めてこの問題を考える必要を覚えたので、以下、藤原氏の論を紹介しながら、そのことを記してみたい。

『万葉集』に次のような歌がある。
奈呉(なご)の海人(あま)の釣りする舟は今こそば舟棚(ふなだな)打ちてあへて漕(こ)ぎ出(で)め(巻十七・三九五六)
[現代語訳]奈呉の海人が釣りする舟は、今こそ舟棚を打ち叩いて、思い切って漕ぎ出すがよい。
題詞に「大目(だいさくわん)秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)の館(やかた)に宴(うたげ)せる一首」とある。
天平十八年(七四六)八月七日の夕、大伴家持は、国守として新たに赴任した越中国の国守館に、国庁の官人たちを集め、盛大な宴を催した。その宴は、さらに八千島の館に場所を移して、二次会のような宴が続けられたらしい。右の一首は、その折に、主人(あるじ)の八千島が詠んだとされる歌である。八千島の館は高台にあり、眼下に海が見下ろせる。この歌は、明け方、漁民たちの出漁するさまを目にしての作と見てよい。

問題は、「舟棚打ちて」の「舟棚」である。私の『万葉集』の注釈書である『万葉集全解 6』では、そこに「舷側の棚板。船頭が踏んで漕ぐ場所。そこを叩くのは、出漁に際しての呪的儀礼か」と注した。この「舟棚」の理解は、現行の注釈書類一般に見られるもので、ほぼ通説に近い。

「舟棚」に関連する表現に「棚なし小舟」がある。いくつか例があるが、持統太上天皇の三河行幸の際に詠まれた高市黒人(たけちのくろひと)の歌を掲げておく。
何処(いづく)にか舟泊(ふなは)てすらむ安礼(あれ)の崎漕(こ)ぎ廻(た)み行(ゆ)きし棚(たな)なし小舟(をぶね)(巻一・五八)
[現代語訳]今頃はどこに舟泊(ふなどま)りしているのだろうか、安礼(あれ)の崎を漕(こ)ぎめぐって行ったあの舟棚(ふなだな)もない小さな舟は。
この「棚なし小舟」について、『万葉集全解 1』では、「棚」に先の「舟棚」と同じ説明を付した後、「棚板のない貧弱で浅い小舟。不安定さが強調される」と注した。これもほぼ通説に近い理解である。

だが、藤原氏の論によれば、折口信夫は、この「舟棚」について、まったく異なる理解を示していたという。藤原氏は、戸板康二と池田彌三郎の記録した折口の万葉集講義の講義ノートをを引用した上で、八千島の歌の「舟棚」は、舟の側面の板を指すものと、折口が捉えていたことを指摘する。藤原氏はさらに、この折口の理解を実証すべく、和船に詳しい氷見市博物館に問い合わせて、和船の構造を確認し、その上で「舟棚」とは、折口が指摘しているように、「舟の側面に重ねてつける縦板」のことであったとする。ならば、「舟だなは…舟ばたといふ事と殆ど同じ」(折口の言葉)であったことになる。

藤原氏は、この折口の理解の正しさを示すことで、私の注釈も含めた現行の注釈書類の説明に疑念を示したことになる。なるほど、八千島の歌の「舟棚打ちて」の「舟棚」を、「船頭が踏んで漕ぐ場所」と考えると、それを打ち叩くという動作は、ありえなくはないが、どこかしっくりしない。これが、「舟の側面に重ねてつける縦板」つまり舷側と同様なものだとすると、そこを叩くことは不自然でなくなる。そこで思い起こされるのが、『平家物語』巻十一の那須与一の扇の的を射る話で、船上に揺れ動く的を見事に射落とした与一の修練の妙技に、平家の一同も「船端(ふなばた)を叩いて」感じ入ったとある。この「船端」は舷側のことだから、なるほど「舟棚打ちて」とも重なることになる。

そのようなことで、藤原氏の論を読みながら、この「舟棚」(及び「棚なし小舟」の「棚」)を、折口の解釈に即して、「舟の側面に重ねてつける縦板」と捉えることが、正しい理解なのかとまずは思ったような次第である。
とはいえ、そこにはまだ疑問もある。それは、「舟棚」「棚なし小舟」の「棚」を「縦板」の意味に用いることができるのかという疑問である。
一般には、板を水平に渡したものを棚と呼ぶ。「棚橋」というのも、板を棚のように掛け渡した橋をいう。水平に、つまりは横に広がる状態のものも、棚と形容される。空が一面に曇ることを「棚曇り」と呼ぶのは、その一例になる。
それゆえ、舷側につけた縦板を「棚」と呼びうるのかどうかという疑問はどうしても拭えない。私の注釈も含めて、「舟棚」を、舷側の棚板、船頭が踏んで漕ぐ場所と解しているのは、これを横板と見ているからである。舷側に沿って棚状に横に渡した板という理解になる。

藤原氏の論を拝読して、それに説得されつつも、一方ではまだ疑問も残る。いまはそんな状態だろうか。まことに古代の言葉の理解は難しい。

「高岡市万葉歴史館紀要」第三十六号には、私の「折口名彙から見る万葉びとの世界像―「魂乞ひ」と「いろごのみ」の問題を中心に―」も収載されている。御併読頂けるなら幸いである。

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